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ドラゴン大年表

 ドラゴン大年表 

  平成18年(2006年)  今は感謝の気持ちでいっぱい


    藤波 「好きなんだねえ、プロレスが(笑)」 (8月2日、後楽園ホール。新無我旗揚げ第1戦を終えて、しみじみと)

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●平成18年(2006年)  52歳


 月日
新日本プロレス・全日本プロレス・国際プロレス・世界のプロレス藤波選手を中心としたプロレス関連の主な出来事
    
新日本プロレス・全日本プロレス・国際プロレス・世界のプロレス
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1月4日 東京ドームで「闘魂始動」大会が開催された。
           藤波は、西村、飯塚、矢野、後藤洋、長尾をひきつれて、藤波軍として参戦。
           長州ひきいるインデペ軍とタッグマッチを行った。終始にらみを利かせて試合が
           支離滅裂にならぬよう試合を作った藤波だったが、12分ほどで、試合終了。
           新日本プロレスとしての最後の東京ドーム大会を終えた。   

             西村 「すべてが、下品というか・・・」     


 ・ 1月 4日  東京ドームで「闘魂始動」大会が開催された。
           藤波は、西村、飯塚、矢野、後藤洋、長尾をひきつれて、藤波軍として参戦。
           長州ひきいるインデペ軍とタッグマッチを行った。終始にらみを利かせて試合が
           支離滅裂にならぬよう試合を作った藤波だったが、12分ほどで、試合終了。
           新日本プロレスとしての最後の東京ドーム大会を終えた。   

             西村 「すべてが、下品というか・・・」     

 ・ 1月      このころ田中リングアナと西村を中心にした選手達が結束、いわゆるクーデター
           も計画していたという。 (7月のテレビ番組で西村自身が暴露)

 ・ 1月25日  藤波の「無我」を継承していた西村が新日本を脱退。フリーとしてやってゆくことになった。

 ・ 1月28日  ブラックキャット(クロネコ)(=マル・ビクトル・マヌエル)さんが死去。藤波が「メキシコから連れて
           きたようなもの、仲人もやった」という関係の深さをもつ。享年51歳。
           同夜の後楽園大会で、藤波が遺影を持ち、リング上でテンカウントゴングセレモニー。
           このブラックキャットの死去に当たって、新日本関係者のある発言に対して、藤波が
           「会社の馬鹿どもが・・・」と、激怒したといわれる。

 ・ 2月20日  新日本プロレスの契約が終了。結局11名の離脱者を出した。

 ・ 3月 1日  サッカーの横浜Fマリノスと、新日本プロレスの提携が発表された。
           「久保継承!藤波必殺技ダイビングヘッド」と、さっそく「ドラゴン」の久保と藤波
           の話題が新聞紙上に。また「ドラゴンロケットという言葉が、世代やファン層をつな
           ぐ効果にも期待する」と記されていた。

           「ぜひサッカー流のドラゴンロケットをつくり上げてほしい。5日の京都戦は、彼の空中戦に注目し
            たい」(藤波)        (ニッカンスポーツ)

            なお、この日、ウエブ上のオフィシャル動画サイト「NJ+IWTV」がリニューアルされ、もっとも重要な
           コンテンツのひとつだった「藤波宣言」のコーナーが削除されてしまった。

     

これが、いまとなっては、幻の「藤波宣言」のページです。
突然、削除されていまでは観ることもできません。
タイガーマスクとのトークの回ですね。
    
   



 ・ 3月 4日  サッカーの横浜Fマリノスのウエブサイトに、藤波とマリノス左伴社長の対談が掲載された。
           左伴社長も「小さいころ吉村選手に肩車された」ほどのプロレスファン。両スポーツの共通点や
           身体の鍛え方、「非日常的な空間」としての興行、小さいファン獲得法などについて対談が盛り
           上がった。サッカーも「プロセスを大切にするスポーツ」という左伴社長の考えも示された。

             左伴社長「うちのスポンサー、オジサンも多いんです。藤波さんと一緒にやるといったら
                    喜ばれまして(笑)」
             藤波(小さなファン獲得)「こどもをリングの上のマットにあげて、でんぐり返しをさせるとか」


 ・ 3月 5日  日産スタジアムの開幕セレモニーに、藤波が登場。両チームに藤波から花束が渡された。
           横浜vs京都の試合を観戦。試合はマリノスが4−1で勝利。


 ・ 3月27日  木村健吾スカウト部長が新日本プロレスを退社。

          「猪木さんが株を売ったころから、何カ月も悩みましたが、今日辞表を提出しました。
           新しい1歩を踏み出すために」  「藤波さんにも会社で相談しました」
          「リングに、なんとかキンタローが踊りながら出てくるのは新日本ではない」
         
          「私は新日本を愛しています。33年間すべてがよかった。新日本でよかった」
           なおこの日、藤波は、雑誌の取材で都内の「有限会社ワールドブルー」社を訪問し、スピリチュアル
           に関する対談・取材をしていた。

・  4月 1日  藤波が出演する映画『TWILIGHT FILE U』の、お披露目舞台挨拶が東京ウイメンズプラザ
          ホールで行われ、藤波も出席した。映画は『トワイライト・ファイル』の最新作で、このオムニバス
          の3作品全部に出演したのは藤波だけという。
           藤波は「いろんな役を演じて、浮かないようにしましたが、不器用な部分が出てしまいました。
               以前から喫茶店のマスターをやってみたかったので、その役は嬉しかったです。(笑)
               でも、強面の人たちが喫茶店に来るシーンでは、自分がプロレスラーであることも忘れて、
              少しひいてしまいました(笑)また機会があれば出たいです」と映画出演への意欲を語った。
                                      (以上、  CINEMA TOPICS ONLINE より)

・ 4月 1日   シカゴでWWEの殿堂入りイベントが開催された。このイベントに参加したブレッド・ハートは
           30分におよぶ演説の中で「タツミ・フジナミ」の名を出し、当時の思い出を語った。なお、この
           日のスピーチでは「プロレスとは、信頼と尊敬の芸術である」という名言があった。



 ・ 4月21日  藤波取締役が辞意を表明。藤波は13日の取締役会で、会社側に対して辞意を伝えていたという。
           「会社を救ってくれたユークスさんには感謝している」。(プロレスには)「今まで以上の熱い思い
          はある」。1月以来リングから遠ざかるが「まだやめるつもりはない」と現役続行も宣言。

          翌22日には選手や関係者が、藤波に残留を呼びかけた。
          「苦しい中をここまで頑張ってきた大先輩。若手に教えて欲しいことも多い。できれば、まだまだ
          一緒にやって欲しい」(飯塚選手会長)

 ・ 4月24日  この日づけの東京スポーツ1面は「藤波爆弾。長州退団、サイモン退陣」(詳細未詳) 
           この日、新日本プロレスは、株主総会後、藤波の辞意問題にも触れ、1週間の話し合いをもつ
          ことを発表した。


 ・ 4月25日  大牟田大会で、棚橋が天山を飛龍原爆固めで破る。インタビューでは「師匠のおかげ」と発言し、
           「僕のリスペクトは新日本全体ではなく、藤波辰爾個人に対するものですから…」と、藤波の
           残留を訴えた。

 ・ 4月28日  都内の帝国ホテルで開かれたノアの永源遙引退記念パーティに、藤波が出席。渡哲也、梅宮辰夫、
           坂口征二らと一緒に永源の引退をお祝いした。永源はステージに登場した西城秀樹とともに、ヒット
           曲「ヤングマン」に合わせて踊るなど終始陽気であったという。(出席者は800名)

 ・ 5月29日  この日、藤波の出演したテレビ番組「ふるさと一番!」が放送された。沖縄県の糸満市から、
          ハーレーの模様や漁師の生活をレポート。

 ・ 5月30日  この日、藤波の出演したテレビ番組「ふるさと一番!」が2日連続、放送される。沖縄県の
          うるま市からの放送。当地で盛んな闘牛を中心にレポート。藤波も実況も。



 ・ 6月20日  藤波は、「辞表」を提出し、創立いらいの「新日本プロレス」を離脱。
           30日付けで正式に退社となった。

          

 ・ 6月23日  新日本プロレスを退団していた田中アナ、ヒロ斎藤、西村、吉江が、記者会見。

           田中アナ「8月に「ブラックキャットのエピローグ」をやりたく事務所ができる前に動き始めた。
                  「無我」という名前をつかう以上、藤波さんにも挨拶に行く」



 ・ 6月24日  「週刊プロレス」の取材をうけ、離脱や西村の「無我」への思いをおおいに語った。なお、この
           インタビューは7月5日に発売の「週刊プロレス1322号」で特集された。
           表紙には藤波の笑顔、巻頭に「藤波直撃インタビュー」が置かれた。

           決め手になったのは長男の「お父さん、もういいんじゃない」ですよ。しばらく前から週プロを
           俺の前では読まなくなっていた長男が、そういってくれました。

           やっぱり、最初のメンバーでしたからね。そういう部分はあります。船長はかわっちゃったけど。
           ならば、俺が、一緒に沈んでゆくっちゅうのは、あります。



 ・ 6月30日  藤波は最後の出社。

           藤波「慰留の話はなかったし、二度とココに来る事はない。寂しさも別にないし、やる事は
              やって来たつもり。僕は僕で非常に爽やかですよ!」(6月30日、最後の出社を終えて)



 ・ 7月 7日  記者会見で、退団について正式に発表し、その経緯や今後の決意について語った。

          藤波「猪木さんを筆頭にわずか6人で新日本プロレス旗揚げしてから34年。1番いい時代に、
              いろんな最高の感動をもらった。今は感謝の気持ちでいっぱい。
              すがすがしい気持ちで新日本を後にしたい」

           なお記者会見としては初めて伽織夫人が同席し、今後の藤波の応援を誓った。

            また、藤波が、西村と田中アナの誘いに乗って「無我ワールド」へ合流するにあたって、
            藤波の心を最も響かせたのは、8.2大会を、1月に急逝したブラック・キャットさんへの
            追悼興行としたいというふたりの気持ちだったという。
          
           藤波「一番の理由はそこよ。メキシコ時代からの付き合いだったネコちゃんの死はつらかっ
               たし、僕もすごく気に留めていた。ネコちゃんへの追悼をやってから(正式に旗揚げ)
               という彼らのケジメの気持ちが、僕の心を打ちましたね」

 ・ 7月10日   この日、サムライチャンネルの番組に出演していた西村が、8月2日の藤波の対戦相手が、
            トニー・セントクレアーであること、またセントクレアー選手が脳梗塞で倒れてしまったことを
            発言。

 ・ 7月12日   新団体が「無我ワールド・プロレスリング」であることが発表された。
           (「ワールド と プロレスリング の間の「なかぐろ(=『 ・ 』)」に注意)
          田中リングアナ「ワールドには、『無我ワールド』と『世界』の2つの意味が込められています」


 ・ 7月下旬以降  このころから、テレビ朝日系のテレビ番組を中心に、藤波の「マッチョドラゴン」や「ドラゴンたいそう」
             などが流され、揶揄されることが多くなった。なんとなく意図的なものが(?)


 ・ 7月26日   藤波は、都内の坂口道場で、公開練習。
            藤波「緊張してます! 第一試合というのは。10年前とは状況もかわってるし、それと、今回、新日本プロレスを
                離れての試合という部分も」



 ・ 8月 2日  後楽園ホールで「無我ワールド・プロレスリング」興行が行われた。
            題して「新無我伝説、エピローグ。ブラックキャット・メモリアル」(プレ旗揚げ興行)

          

          選手の入場式では各選手のプロフィールも紹介され、リング上からの挨拶は西村。
          西村「この星・地球上には、60億の人々が住んでいます。時代に媚びることなく
              真のプロレスを追及します。プロレスのプロレスによるプロレスのためのプ
              ロレス。本日のご来場有難うございます。」
          また、カールゴッチ氏の名誉顧問就任も発表された。

          第1試合は、ブラックキャットメモリアルで、レフェリーとしての引退試合として、サブ
          レフェリーを息子のアキラ君がつとめた。藤波は、「無我のテーマ」で入場。
          マーク・マッカイと、グランドの展開や、落ち着いた攻撃で、プロレスの基本ワザを
          じっくり見せる試合を展開。両者緊張の中、アームバーからキーロック、スリーパーから
          ドラゴンスリーパーとつなぐ。最後は、お互い組み合う中から、藤波の逆さ押さえ込
          みが見事に決まった。
          新しい団体の第1試合を担うという緊張感の中での見事な試合を見せた。

          藤波「お客さんが入っている中で、試合ができてうれしい。若い彼らの新しい
              プロレス人生が始まる。全力でサポートしていく。みんな、意地を見せろ! 
              と言いたい。」
            「好きなんだねぇ、プロレスが(笑) としのことは言いたくないけど、まだ52と
              言いたい。」

          第1試合の後は、ブラックキャットの引退式。これには、蝶野をはじめ棚橋・金本・マシン
          ら新日本の選手も駆けつけ、リング下で藤波と握手、さらにリング上でセレモニー。
          最後に藤波も、花束と、名前入りTシャツを奥さんに贈った。テンカウントゴングで
          ブラックキャットの引退式を終えた。

          後藤が竹村と熱戦。最後はバックドロップで勝利。
          吉江の体重でもほとんど揺れないほど、異常に硬いリングの上で、吉江が長井を圧殺。
          この熱闘で長井をは腰を負傷。

          メインはヒロ斉藤と西村の一騎打ち。10分過ぎまで西村に攻めさせておいて
          そこから老獪な首攻めやコブラツイストで西村を追い込んでゆく。ヒロが左膝を痛めるアクシデントが。
          10分近く、膝を攻められ立つこともできない状態に。最後は、得意の原爆固め2連発を
          決めて、ヒロ斎藤の勝ち。あばらも痛め、立つこともできない状態でも、きっちりとメインを締めた。。

            藤波「ヒロ斎藤の試合は、まさに、プロレスの神髄を見せたね」

          新団体の第一試合の重責に緊張しながらのマッカイと藤波。
          厳しい攻めを耐え抜き、メインを盛り上げて大会全体を締めくくったヒロ斎藤。
          本部席で、各試合に、非常に厳しい視線を送っていた藤波が印象的であった。

          最後は全選手そろってリング上での写真撮影。この後、後楽園ホールの出口で、
          全選手が、お見送りをするという「無我」らしい締めくくりであった。


            藤波「いい顔してるでしょう。やはり、リングはいいね。ネコちゃんも応援してくれた」



 ・ 8月 5日  藤波邸で、無我のパーティーが開かれ、その模様も、サムライチャンネルで放映された。

 ・ 8月  日  藤波ファミリーとその支持者が、富士山登山。週刊プロレスの安田記者も同行。
          富士吉田市の浅間神社にお参りして、富士山頂をめざした。途中の苦しい場面でも、
          無言で奥さんを励まし支える藤波の姿が、感動的であったという。登頂に成功。


          西村「藤波さんの家族は、ほんとに仲がいい。いろいろな家族の行事をして、近所の方とも
              バーベキューをしたり、餅つきをしたり。 この家族の仲の良い心が、「無我」の原点では
              ないかと思います。家族愛です」


 ・ 8月  日  西村が、フロリダ州タンパに、カールゴッチ(82歳)を訪ねる。無我の「特別顧問」就任。


 ・ 8月17日  この日、藤波一家が出演したNHKの番組「クイズ・モンスター」が放映された。
          藤波一家は漫画家のやくみつるチームと対戦。藤波ファミリーの出演は嬉しいが、
          藤波ファミリーに入っていた西村がまったく番組の流れにのれず、正直、見ている方が
          つらくなるような内容になってしまった。


 ・ 8月26日 この日、吉江と竹村が、「無我」への入団会見。

 ・ 9月 8日  無我8人衆が、千葉県の長生海岸で合同合宿。SPWF名義の道場でも練習を公開した。
           藤波「(開幕戦でも)技の出し惜しみはしない。全部出し切る」

 ・ 9月中旬  旗揚げシリーズに先立ち、サムライチャンネルで、これまでの無我の歴史を振り返る「特別番組」
           を放映。(西村が、週刊プロレスの安田記者とともに解説。)
          その中で、95年の無我のビデオを見ながら、西村「このレフリーのお方も珍しいですね。元気なん
          でしょうか。」と発言。このころは、政治的なことから、長州派にはタイガー服部、ミスター高橋は藤波
          派、中間に柴田さんと田山がいた」と発言。同番組では、同じく95年12月の博多スターレーンでの
          3試合も、初めて放映された。(なお、些細なことだが、この放送中、故・カールゴッチと故・福田選手の
          映像が出たとき、西村は「死んじゃいましたが」と発言した。せめて、たしなめてやらないと、彼の将来
          が困りますよ。>安田記者)

 ・ 9月15日  アクロス福岡で、無我ワールド・プロレスリング「旗揚げシリーズ」開幕。
          
          この日、藤波は第4試合で長井に勝利。藤波が長井の左ミドルキックをキャッチしたとたんに
          期待に客席が一瞬静まり、ドラゴンスクリューを繰り出すと、この日一番の歓声が起きた。           
          最後は必殺の飛龍裸絞め。8月のプレ旗揚げ戦では調整不足もあったが、見違える動きで、
          勝ち名乗りを受ける藤波への大声援がファンの満足感を証明した。

          藤波「本当の始まりだから、やらなきゃという気持ちが強かった」
          大阪のABC放送の人気番組「クイズ! 紳助くん」のリポーターを務める若手芸人ら4人が
          この日は、リング設営から参加、8月からの無我の旗揚げに向けた動きを体験取材でリポート
          した。 

 ・ 9月16日  別府・杉乃井ホテルひかりの間大会。藤波は後藤との一騎打ち、後方回転エビ固めで決めた後
          「今から36年前、今日セミとメインを裁いてくれた北沢さんとの出会いがなかったら自分はプロレスラーに
           なっていませんでした。その北沢さんのレフェリーで今日地元で試合を行えたのも非常に感慨を覚えてます」
           北沢レフェリーと握手。リンク


 ・ 9月18日  大阪のABCホールでシリーズ第3戦が行われた。この会場でのプロレス興行は初めて。
          藤波はマイク・バートンとシングル対戦し、勝利。
           この会場は、大阪の朝日放送のスタジオでもあり、プロレスの興行ははじめて。ABC放送の
          人気番組「クイズ! 紳助くん」のリポートも引き続き実施され、リング上で竹村がレポーター
          を相手に、レスラーの強さをアピールして「おいしいですね!」と語る。

 ・ 9月25日 無我ワールドプロレスの「旗揚げシリーズ」最終戦。メインの第5試合で、藤波は西村と対戦。
           試合前の入場式で、田中リングアナによる観客へのアンケートがあり、拍手の大きさによって
           60分3本勝負となった。1本目はドラゴンスクリューから足4の字を狙った藤波が、首固めに
           押さえられ、わずか50秒で西村の先制となる。2本目も足4の字が試合のポイントになり、西村
           がギブアップ。3本目は藤波の大攻勢も、がっちり決まった足4の字を返され、裏足4の字固め
           に決められ敗れた。両者の3本勝負は初めて。この試合で藤波は左手中指を骨折してしまった。

          (なお、「無我ワールド・プロレスプロレスリング 熱戦譜は こちらをご覧下さい(直接リンク))


 ・ 9月  日  この日発売の号をもって、週刊ファイト紙が休刊。
           最終号の見出しは「猪木が死すとも プロレスは死なず」であった。 (猪木が死んだ?)

 ・10月      このころ、藤波夫妻が主催しての選手・家族の食事会があり、後に「無我・婦人会」という記事で
           ニッカンスポーツに登場した。記事のへリンク

 ・10月26日  藤波は雑誌(国際クラブ)の取材で広島県呉市のウオーク社を訪問。リンク

 ・10月31日  宮城・仙台で新シリーズ開幕「闘秋」

          

 ・11月 5日  大阪大会で、藤波は吉江の巨漢につぶされて、敗れる。(びっくり)

 ・11月16日  藤波の出演したNHK総合テレビ「ふるさと一番!」がお昼に放送された。
          これが、なんと、生中継で、「若き僧侶、日々これ修行〜和歌山県高野町〜」という題名であ
          った。

 ・11月17日  藤波は雑誌の取材で、鳥取県米子市の輸入雑貨店「るおんるおん」を訪問。リンク

 ・11月20日  西村プロデュースの無我ワールド・プロレスリング大会「大人のプロレス『夢我』」
           が東京・六本木のヴェルファーレ開催された。西村がかつてから構想をあたため
           ていたもので、18歳未満お断りという興行だった。リンク

           試合は組まれなかったが、藤波も姿を見せ「きょう、自分が出られなかったのは
           年齢制限があったからかな?と思いますが、次はこのヴェルファーレで僕も戦い
           たい」と宣言。 ラウンドガールコンテスト、音楽と「無我」の融合、というねらいが
           あったと思われるが、この西村プロデュースには否定的な意見も見られた。

           この日、藤波の出演したテレビ番組「鶴瓶の家族に乾杯」が放送された。
          藤波は、和歌山県みなべ町の備長炭炭焼きの一家を訪ね、港にも足をのばし、
          漁師から魚を譲ってもらい焼いて食べるというもの。藤波の素朴な人柄がよくあら
          われていた。(続編も27日に放映され好評を博した)
          
 ・11月25日  法政大学の学生プロレスのリングに無我戦士が乱入。吉江と竹村が学生を相手に
          プロレスラーのすごさをアピール。藤波が「「こんなに盛り上がってるんだったら、いっ
          そのこと、ここで試合をするんだったね」とリング上からアピール。
          12月の恵比寿の試合を宣伝。

 ・12月 3日  前橋で吉江豊プロデュース「ふるさとプロレスYoshie Rich Festival(豊な祭り)」を開
          催。藤波は竹村から飛龍裸絞めで勝利。

 ・12月 7日  Ebis303で「無我ワールド・プロレスリング」の今年の最後の興行が行われた。
          

          藤波は、正田と対戦し、正田の「無我らしからぬ」噛みつきなど反則攻撃に耐え、
          勝利した。
          この日のトーナメントでは吉江・ヒロ斉藤・西村の3人に連勝した長井が優勝し、
          リング上で全選手からの祝福を受け涙。藤波が優しく肩をたたき、全員で胴挙げ。
          そして、恒例の記念撮影。
         
           藤波「ここは、無我にとって大切な場所」
           藤波「来年は若い選手にとって試練の年になる」

 ・12月13日  元週刊ファイト誌の編集長井上義啓氏( I 編集長)が死去。
           猪木ばかりでなく、藤波に関しても数々の名言を残してくれた。

          「藤波。 藤波だけです! 猪木を裏切らなかったのは! はっきり言って」
                (サムライチャンネル。「闘いのワンダーランド・喫茶店トーク」で)

 ・12月16日  藤波は、NHK教育テレビの「親と子のTVスクール」に出演し、ヒロ斉藤との
          スパーリングを全国生放送で披露した。NHK放送の電波にプロレスがのった
          力道山以来の約50年ぶりだという。プロレスの魅力をアピールし、プロレスの
          練習をベースにした「親子体操」が紹介された。藤波の、全国の小中学校での
          プロレス式トレーニングによるボランティア活動が、同番組のプロデューサーに
          認められての出演だった。倉島も同行。
             
          藤波は「肌と肌を合わせるプロレスは、コミュニケーション不足の現代の子供たち
               にはピッタリ」と親子だけでなく、友達同士のプロレスごっこを勧めた。
              「来年は、無我の会場でも教えたい」

          なお、司会の麻木久仁子は「参加者がこんなに盛り上がったのは初めて。私は
          運動が嫌いだったんですが、藤波さんの『うまくできなくても、体を触れ合わせる
          楽しさを知ってもらいたい』という言葉でやってみようかなと思った。試合も見て
          みたい」と縁遠かったプロレスへの興味が芽生えたことを明かした。

 .12月28日  無我の仕事納めが南青山の事務所で行われる。
           藤波夫妻の結婚25周年のお祝いもされた。
           



※次期シリーズへの期待たかまる。(待て!次号!(   笑   ))




※というわけで、これまで「ドラゴン大年表」として、少年時代から、「無我ワールド」までまとめてきました。なるべく、客観的に(?)記述していたつもりですが、
 この年に、長年勤めてきた「新日本プロレス」を退社し、あらたなスタートを切った藤波さん。その大活躍を、今後も記してゆきたいと思っています。
 が、
 「ドラディション」をはじめとする公式のウエブや、多くのプロレスファンの作成するホームページ・ブログなどで、たくさんの「情報」が記載されています。もう、 「あふれて」きました。

 そういうわけで、「ドラゴン藤波探検隊」でなくても、「検索」ひとつで、多くの情報が手に入る時代です。
 とても、全部を網羅することはできません。

 そこで、この年以降の「大年表」は、編者cacao86 の好みを重視して、主観的に記してゆくことにします。
 これまでの「大年表」が、「若干の問題がある」状態でしたら、こんどの「めもめも」は「重要な問題があります」となるでしょう。
 「情報の取捨選択」の基準は、「おもしれえ」(by猪木)です。

 かなり年表の性格が変わってきますが、どうぞ、勇気のある人は、お付き合いください。  2010.6.1 ラバーソウルみなみ  cacao86  2019.1.31。




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