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ドラゴン大年表

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  平成15年(2003年) 藤波社長、さらにさらに飛躍を。がんばってくれ!  


●平成15年(2003年)  49歳


 月日
新日本プロレス・全日本プロレス・国際プロレス・世界のプロレス藤波選手を中心としたプロレス関連の主な出来事
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1月4日 東京ドーム大会。藤波は第一試合に登場西村と対戦。「究極の無我対決」と注目され
           西村が勝利。
            試合に関しての両者のコメント;
              藤波「西村の2003年にかける気持ちが伝わってきた。自分もまたコンディションを
                  整えてリングに上がりたい。3月頃になると思う」
              西村「勝ったのは初めて。でも、プロレスには勝ち負け以上に大切なものがある」

           なお、この日、新間寿元本部長が20年ぶりに新日本のリングに登場し、
           「新日本に闘いを取り戻してほしい。K−1やPRIDEに負けちゃダメだ!」と訴えた。

           「新日本には3匹の鬼がおりました。リング上に猪木、本部長に私、そして道場に山本小鉄。
            猪木のあとを、坂口が、藤波辰巳が支えておりました」


 ・ 1月 4日  東京ドーム大会。藤波は第一試合に登場西村と対戦。「究極の無我対決」と注目され
           西村が勝利。
            試合に関しての両者のコメント;
              藤波「西村の2003年にかける気持ちが伝わってきた。自分もまたコンディションを
                  整えてリングに上がりたい。3月頃になると思う」
              西村「勝ったのは初めて。でも、プロレスには勝ち負け以上に大切なものがある」

           なお、この日、新間寿元本部長が20年ぶりに新日本のリングに登場し、
           「新日本に闘いを取り戻してほしい。K−1やPRIDEに負けちゃダメだ!」と訴えた。

           「新日本には3匹の鬼がおりました。リング上に猪木、本部長に私、そして道場に山本小鉄。
            猪木のあとを、坂口が、藤波辰巳が支えておりました」

         

 ・ 1月16日  前日の越中につづき、若手の鈴木健三が退団。
           藤波社長の話「聞くだけヤボ。聞く必要もない」(鈴木のこれからについて)
           また、元プロレスラーの剛竜馬がひったくり事件で逮捕されたことに触れて、
            藤波「情けなくて言葉もない。自分と試合をしている過去を大切にしてほしかった。
                その試合を見てくれたファンもけなすことになる」
                       藤波社長は、坂口会長とともに、この日の午後、DSE社長の森下氏の葬儀に参列した。

 ・ 1月中旬   藤波が専属のトレーナーのもと、肉体改造に取り組み始める。週3回の筋力トレーニングが中心。

 ・ 1月27日  新日本プロレスがモンゴルプロレス協会との提携を発表。横綱に昇進した朝青龍の兄弟である
           ブルーウルフ選手、およびドルゴルスレン・スミヤバザル氏が藤波・坂口とともに会見に臨んだ。

 ・ 1月29日  藤波は、この日、都内の道場で公開トレーニング。専属トレーニングコーチの仲山啓之介氏の指示に
           したがって、藤波は、チューブ、クッションボールなどを使って、約2時間、汗を流した。
           これの日の模様は、「藤波、肉体改造宣言」と報道された。

            藤波「自分の座右の銘はネバーギブアップ。今年で50歳になるけど、新しい挑戦をしていきたい」


 ・ 1月31日  藤波一家の出演したTBS系テレビ番組が放映され、藤波社長は「ドラゴン風最強(妻恐)うなぎ
           まぜご飯」を料理した。長女・美有さんはプロゴルファーに、長男・れおな君は「プロレスラー」に
           なりたいと発言
。「父親のDNAがあるようで、体育系だけはいいんです」(かおり夫人ほか)
           
           冷蔵庫拝見のコーナーでは、藤波社長が扉に頭をぶつけて、三枚目を演じ、良きパパ振りを
           見せていた。画像つき・番組のようすをリンクで


 ・ 2月13日  棚橋が新日本活性化のために提唱した「U30リーグ」に関連して、藤波は「オーバー40」をやって
           もいいと発言。この藤波特有のジョークを、シニアリーグの開催提唱と報道するところもあった。

 ・ 2月18日  藤波は棚橋を連れて、千葉ロッテマリーンズのキャンプ地(鹿児島・鴨池)を訪問。合同トレーニング
           にも参加した。

 ・ 2月20日  猪木の還暦を記念して東京湾サンセットクルーズが企画された。藤波社長も参加。

 ・ 2月26日  木村健吾が引退を表明し、最後の相手に藤波を指名。
           木村「迷惑だろうが、最後は藤波選手にお願いしたい」
           藤波は「気持ちは分かるが、即答できない」と保留。
           実は、藤波は、追突事故にあって体調不良であった。

 ・ 3月     「JAF MATE」(4月号)の城特集に、インタビュー記事が掲載された。
            
              「仕事柄、日本中に遠征します。そこで必ず地元の城に行くんです。日本中の主な城には、全部行ったと思います。
               不思議に落ち着くんです。歴史の重みですかね。この石垣の組み方はどうだとか、難しいことは考えません。雰囲気が
               好きなんです。」



 ・ 5月 1日  ドーム大会の前夜祭「猪木の感謝祭」で、藤波はパチスロに挑戦。
           「やりかたがわからん」と周囲を笑わせた。

 ・ 5月20日  インターネット番組の、「藤波宣言」を収録。追突事故にあって、木村健吾の引退の相手を努められ
           なかった件についても言及し、エキヒビションででも対戦したいと話す。
            「3月(?)10日前後の事故で、首にコルセットをはめていました」

 ・ 6月 3日  アメリカでフレッドブラッシーが死去。1978年のジュニアヘビー級の奪取時や、その後も公私ともに
          親しかった藤波は「とても寂しい。自宅に招待され食事をご馳走になった。当時(ニューヨークでの王座獲得
          があるから今の僕がある。とても感謝している」とコメントを寄せた。

 ・ 6月14日  藤波はスカイパーフェク・フジテレビの「チャンネル北野」にゲスト出演。
        「吐いてけ!辛口屋台」というコーナーに登場して、ガダルカナル・タカや、お城研究家の楠戸義昭氏と、
        「城」をテーマに熱く語った。
                  


 ・ 6月17日  藤波が「藤波ワールド」(仮称)構想を発表と報道された。格闘技路線を走る新日本に対し、本来あるべき
           プロレスの姿に戻すというものだった。9月にスタートするつもりであったとも。
 
 ・ 6月29日  藤波は、埼玉スーパーアリーナで開催された「K−1」を観戦。この大会には、新日本を代表して中西が
           出陣をしたが、TOA選手に、わずか98秒で惨敗。

 ・ 7月 1日  藤波宣言(第27回)を収録。金本とすばらしい試合をした垣原をゲストに迎えて。
           「あの金本が、笑顔で握手するくらいの試合が見れて、ジェラシーを感じたね。あれが、プロレスのすばらしさだね。
            い〜い仕事したね〜ってやつだね(笑)」
           「俺も、(名古屋で)垣原クンのキックを受けたね。すごい手ごたえ、歯ごたえ、があったよ。うん」
           また、藤波社長は「新日本プロレスも、インセンティヴを導入したからね」と経営者的な立場からのコメントで評価。

 ・ 8月10日  G1クライマックスが神戸ワールドホールで開幕。ノアの秋山も参戦。

 ・ 8月16日  両国でのG1クライマックス3連戦で、「ジャングル・ファイトTシャツ」を藤波社長
       自らがサインをして販売するサービスをした。

       実際に会場で目撃したリボルバー内田氏によると
       「サインを求めるファンは多く、あらためて、藤波人気を目のあたりにする光景だった」

 ・ 8月17日  両国のG1で、天山が優勝。控え室での全員笑顔の乾杯は、明るさにあふれていた。
           妙に明るい乾杯

 ・ 8月23日  NHK九州・沖縄で放送の「おはようサタデー」に生出演。中津江村の村長とも対談。こどもたちと、
           サッカーやプロレス教室を楽しんだ。

 ・ 8月28日  大阪なみはやドーム大会。メインで蝶野と高山の金網デスマッチが組まれた。
           藤波の話「金網は、やっぱり、抵抗があります。なぜ、新日本のマットに金網なのか・・・」

 ・ 8月29日  この日発売の「アサヒ芸能」に、「リングの虎」と題して藤波のジュニア時代を中心とした記事
           が掲載された。ジュニアで凱旋したときが「いちばんモテた時期」、また「ルスカこそPRIDE向き」
           そして、「11歳上の猪木の強さを実感」と88年の対戦の思い出を語っていた。

 ・ 8月31日  藤波は、パンクラス両国大会を観戦し、新日本の選手の活躍と、バーネットの実力に目を見張った。

 ・ 9月初旬  藤波は「藤波宣言」28回めの収録。G1の天山優勝から、金網マッチへの違和感、パンクラスの話題と
          総合格闘技に対して、新日本プロレスの看板を取り戻す、など次々と斬っていった。また最強の高山に
          いどむ天山に期待すると述べた。
          「新日本プロレスが動かないと、プロレス界は活性化しません!」

 ・ 9月13日  猪木のジャングルファイトが、ブラジルで開催された。

 ・ 9月14日  名古屋大会で坂口征二が復活。タレントの坂口憲二も応援。ただ、試合後、全治2週間のけがを
          負ったことが判明した。また、山本小鉄がレフェリーから急にファイトに加わり、安田と渡り合った。

 ・ 9月24日  健康誌「梅家族」の取材を受け、健康管理方法を語った。

 ・10月13日  東京ドーム大会。藤波社長が力を入れ、坂口征二の最後の一夜限りの復活まで導入した大会だったが、
           もうひとつ盛り上がりに欠けた大会となった。メインのイリミネーションでも、坂口の復活に無理が感じられたり、
           ボブ・サップのタッグに慣れていないところ(味方の攻撃をカットなど)が露呈し、永田のふがいなさも印象に
           残ってしまった。


 ・10月14日  この日、猪木の恒例の成田空港での記者会見で「近々、藤波が発表することがあります」と発言。
           その意味するところが取りざたされた。
           ハルクホーガンが新日本を訪ね、藤波ほかスタッフと話し合いをもった。

 ・10月27日  藤波は、この日から4日連続で、FM横浜の番組「Reverb」に出演。(27日から30日まで4夜)

 ・10月31日  お台場のニッポン放送で収録された番組「Kinkikidsのオールナイトニッポン」に藤波が出演。
           藤波「うちの創始者のアントニオ猪木さんが、横やりを入れてね。ぶちこわすんです」

           このころ、藤波社長は、プロレスへの情熱・リング復帰への意欲を駆り立てるために、ニューヨーク
           の猪木に会ったあと、フロリダのカールゴッチに会いにゆくと報道された。


 ・11月 4日  スポーツ紙(東京スポーツ)に「藤波引退」の記事が出る。この日より藤波はパラオへ飛び、
           猪木と会見。そこで、引退の決意を固めたといわれる。この藤波の発言は、社員には伝えられて
           おらず、スポーツ新聞の報道が先になってしまった。

 ・11月 6日  パラオから帰国し、夕刻、記者会見で藤波が「引退宣言」と報道された。
            自分のワガママから、マスコミに先に話してしまったことを、社員に詫び、あらためて緊急記者会見
            での引退宣言となった。
            藤波「1月4日で現役を引退し、気持ちに区切りをつけたいと思います」

 ・11月 7日  藤波の引退宣言にたいし、棚橋が「待った」発言。
            「社長の本意ではない。まだ闘いたいし、ファンとしても反対です」

 ・11月10日  藤波はネット上の番組「藤波宣言」のインタビューで、「けじめをつけるが、引退するとは言っていない」
           とも受け取れる旨を発言。さらには「プロレス界」を憂える話も。

            藤波「僕は、生涯「引退」ということばは使いません。「区切り」をつけると」
               「僕からプロレスを取ったら、なにも残りません」
            また、「今の(どこかの)プロレスは、今が楽しければいい、というだけでしょ。面白がってるだけの、
                そういうことからの話は聞こえないふり。泥をかけようとする人たちもいて、寂しいところもある」
               「時代の流れもあるけれども、ある部分では、全日本も変わってしまったし、新日本プロレスもね」


 ・11月13日  道場で合同合宿を始めるにあたって、藤波が選手を緊急招集し、全員で成田空港へ直行。
           この日帰国する猪木を出迎え、12月31日の「イノキボンバイエ」と「1/4ドーム大会」への
           お互いの協力体制を確認した。

           この行動に対し、新間寿氏は「蝶野が猪木に頭を下げる姿。藤波がデーンと座っている姿に、あきれたよ」と
             批判。また週刊プロレス誌では「藤波社長の行動は、新日本をなんとかしたいために空回りしているが」と安田記者が
             書いていた。


           また、藤波は、「1月4日の東京ドームは所属全選手の参戦」を打ち出し、負傷している選手は
          「全力で直すよう」に指示をした。
           
           この日発売の「週刊ファイト」は、「藤波の最後の奉公」との見出しで、1月4日東京ドームで
           藤波引退と報じた。
            思わず買ってしまった(笑)週刊ファイト


 ・12月10日  新日本の1月4日のドーム大会の記者会見で、藤波が、「1月4日の大会は選手査定の
           試合となるが、試合が出来ない自分自身を「リストラ第1号」にする」と発言。
             藤波「いま、試合が出来る体調ではないんです。選手としての自分をリストラします」

 ・12月12日  藤波は千葉県の君津市で、警察署の1日署長をつとめた。
             藤波「警察の制服を着ると、やはり緊張するね。これでプロレス界も取り締まれるといいんだけど(笑)」

 ・12月18日  猪木から、「ばかやらう! 12月31日の猪木ボンバイエ大会で藤波の引退式をやる」という
           藤波に宛てての自筆メッセージがFAXで届き、
           藤波は記者会見で「リングシューズを履いて、リング上で猪木さんを待ちたいと思います」
           と語った。この後、藤波の物まねでも知られる芸人のユリオカ超特Q氏が、藤波引退反対
           のの立場から会見し、「藤波引退撤回運動」(ドラゴン引退反対プロジェクト)を開始した。
           なお、同日、藤波は健康食品会社のCMの撮影も行った。

 ・12月23日  新日・後楽園大会のリング上に猪木が登場して藤波に呼びかけた。
            猪木「藤波!おまえの引退式を12月31日にやるぞ!」
           これに対して、藤波は「よろしくおねがいします」と答え「1月4日の招待状を持ってきました」と返答。
           さらに、猪木は「おまえも、馬鹿になってきたな」と笑顔で応えた。
            この日、引退撤回運動の署名を集めるユリオカ超特Q氏を見つけた藤波は
            「悪いね。寒くない? 大丈夫? 無理しないでね」と声をかけたという。

 ・12月24日  引退反対の千羽鶴が届き、女性社員が代表して藤波社長に手渡した。

 ・12月28日  藤波はこの日、50歳の誕生日を迎えた。おめでとうございます。

 ・12月31日  神戸での「イノキボンバイエ」大会で、猪木流の藤波引退式が行われ、多くのドラゴンファンが
           見守るなか、急遽、猪木・藤波のエキシビションマッチが始まった。
           藤波のスリーパーで元気のなくなった猪木は、担架で運ばれる直前、立ち上がって
           藤波の功績をたたえた。なお、全試合の終了の後での恒例の「カウントダウン」で、
           最初に藤波が呼ばれた(12列31番の席の人)が、藤波はすでに帰途についていた。

           また、この日、「K−1」では曙とボブ・サップの対戦が注目され、また、「プライド」大会では中邑が
           出場するなど、実に、「紅白打倒」を合い言葉に格闘技イベント3大会が競合して平成15年を締めくくった。 

           藤波「猪木さんの本気の蹴りがうれしかった」  ●うれしい師弟対決のもようはこちらで(リンク)  

           藤波「すごく嬉しかったですよ。猪木さんは、いざとなれば、僕のことを考えてくれているんだと」

 


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