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 ドラゴン大年表 

  平成 2年(1990年)   腰痛による長期欠場から、奇跡のカムバック


ドラゴン大年表
●平成 2年(1990年)  36歳

 

         ●藤波は、 腰痛による長期欠場が続く。 治療に専念。
           鍼療法。心霊療法。遠隔療法。とあらゆる治療法を試したという。

          「ピストルを持って来い!」と叫ぶほどの肉体的精神的苦痛が
          襲っていたという。
          腰の治療のために、全国のどこへでも出かけてゆくなど,妻のかおり夫人の献身的な生活が続いた。

          「主人が腰の負傷にくるしんでいたときに、ようやく私たちは本当の
           夫婦になれたような気がします」(かおり夫人・談)
                            (2010年刊・「未完のレジェンド」)


          ヘルニアは「痛み、しびれ、麻痺」の順に病状が悪化するので、藤波は
          いつも「つまようじ」を持参して、足をちくちくと刺しては、痛みを確認し、
          希望の光を見出そうとしていたという。

       。

          2018年の回想 ある専門医が「痛みがある時に、痛みを感じる治療をしてはいけない」と、
         とにかく腰の炎症がひくまで安静にしているようアドバイスしてくれました。当時、僕は36歳で
        、まだまだ現役を続けたかった。大事な腰には絶対メスを入れたくないと思っていました。一方で、
         「治したい」との思いが強くて、過度な治療を行っていた。無理をしないことで、徐々に腰も快方
         に向かっていきました。

   

          かわいがっていた愛犬が、藤波の回復と交差するように憔悴していった。
          藤波は、愛犬が自身の痛みを取り除いてくれたのかもしれないとも語る。


  ・ 1月 4日  プロレス大賞の授賞式が銀座東急ホテルで行われ、これに藤波が姿を見せる。

  ・ 2月 1日  藤波のテーマ曲「RISING」を収録したミニアルバムCDが発売された。
            橋本のテーマ、蝶野のテーマと共に3曲がおさめられ、
            全曲、鈴木修作曲・編曲・演奏。ビクター、1300円。

  ・ 2月 9日  藤波が記者会見で、2月10日の復帰を撤回。それまで、ズビスコとの
            AWAタイトル戦で復帰と見られていた。 

  ・ 2月10日  東京ドームで、新日本vs全日本の対抗戦実現。猪木・坂口組
          が、橋本・蝶野組を破る。猪木の「今日は、ぼこぼこにやら
          れてしまいました〜」のマイクがあった。またAWAタイトル戦は
          マサ斎藤がズビスコに勝ちタイトル奪取。 藤波は腰に注射を
          して観戦。
     追記      ( この日の実現のいきさつと、馬場・坂口会談のこと、当日のカードなど追加のこと
          確か、ジャンボも参戦、藤波が残念な気持ちも)

 ・ 3月      藤波、サイパンへ。治療に専念。

 ・ 3月15日  久留米で坂口征二引退興行。リングの上で藤波から花束を渡した。

 ・ 4月 8日  読売ホールにてファン感謝イベント。藤波もライガー・越中とのトークショウに出場。
           また猪木や闘魂三銃士も参加。

 ・ 4月 1日  藤波は、静岡・日本平でトレーニング。橋本・ライガー・越中・野上・飯塚も参加。

 ・ 4月 4日  藤波はトレーニングを公開し、あわせて、部屋別制度や独立についても発表。

           静岡県内でキャンプをはっている藤波に、SWSの設立準備中のケンドー・ナガサキ
           がアプローチ。ナガサキは天龍の引き抜きに動いたため、結局、藤波とは会わず。

 ・ 5月 5日  藤波は、ライガーと共に駒沢競技場の「チビリンピック」にゲストとして参加。
          その後、後楽園ホールにかけつけ、リング上からも挨拶。

 ・ 5月14日  藤波が全日プロの東京体育館を訪れジャンボ鶴田と会談。

          この日、タイガーマスク(三沢)が試合中にマスクを脱ぎ捨てる。
          実況中継中に解説席のカブキが「何しとんの?何しとんの?」とつぶやいたのが
          印象的。

          藤波が観戦していることが「全日本プロレス」のテレビ中継で紹介され、観戦中
          の藤波の姿も映し出された。

          
          オーロラビジョンにも映し出され、全日本の会場で「ドラゴンコール」が起きた。

           藤波の話
           「会場に着くと、永源さんが「よく来たな」と案内してくれて、馬場さんにあった。
            「困ったことがあったら、いつでも連絡してこいよ」と言ってくれた」


 ・ 5月16日   藤波が、クロネコとの公開実践スパーリングを行う。
           滋賀県守山市の「レイクさがわ」で5月14日から新日本プロレス
           の合宿が行われ、藤波も15日から参加。16日からは猪木も合流。
           合宿は17日まで。

 ・ 6月12日   福岡での試合で、馳が一時心臓停止になる。
 ・ 6月16日   藤波が屋久島大会でバトルロイヤルのレフェリーとして復帰。

 ・ 7月18日    藤波が記者会見で、藤波部屋を8月に始動させ、また個人事務所を
            近日中にオープンさせると発表。

 ・ 8月 7日    後楽園7連戦の最終日に、藤波がリング上から挨拶。また若手の
            小原・松田を相手にエキシビションを行った。
            観客からのドラゴン・コールに励まされる。
            このとき「完全復活まで待っているから、無理をしないで」と
            藤波の足元にすがりついたファンがいた。

           この頃「週刊文春」の取材を受ける。
            「整体・ハリ灸からお祓いまで、420日、腰痛と格闘」

 ・ 8月17日   藤波は坂口社長とともに記者会見で、南海龍のボンバーズ入りを発表。
 ・ 8月26日   藤波のドラゴン・ボンバーズの事務所「シーホース・コーポレーション」
            スタート。この日のよみうりランド大会のリング上で発表した。

            9月に入って、道場で練習を開始。腰への負担のないように、手探りの
            トレーニングであったという。


 ・ 9月 2日   新日本プロレス内の藤波部屋「ザ・ドラゴン・ボンバーズ」
           の第1次キャンプをグアム島で行った。藤波・越中・南海龍・
           高見州(たかみくに)の4人が参加。

 ・ 9月 7日   大阪府立でエクスプロージョンツアー90シリーズが開幕。
            藤波はリング上から挨拶をした。


 ・ 9月16日   猪木がイラクに向け出発。

 ・ 9月25日    東京・全日空ホテルで、「ドラゴン・ボンバーズ」のメンバーを正式に発表。
            越中・ブラックキャット・ライガー・飯塚の4選手と、
            南海龍・高見州の2人の練習生。

            また、藤波は「辰巳」から「辰爾」に改名することを発表した。


       藤波辰爾

 ・ 9月30日  猪木30周年メモリアルイン横浜アリーナ大会。
          藤波が「エキシビションマッチ」で復活。対戦相手は越中。
          5分間のスパーリングのような闘いで、最後に飛龍裸絞めを
          決めたところでタイムアップ。越中は藤波の腰にも積極的に
          技を決めてきた。なおこの様子が「逸見の素敵にドキュメント」
          におさめられ、後日放映された。

           藤波「猪木さんのレスラー生活30周年記念の大会ということで
            エキシビションで、復帰のリングに上がりました。
            腰は万全ではなく、医者が控室で待機していて、いつでも
            試合を止められる状況での試合で、賭けでした


           猪木の30周年セレモニーがリング上で行われ、その日参加の
          ルーテーズほかジョニー・バレンタイン、ゴッチ、ニック、ハンセン、
          シンらの「グレーテスト18クラブ」が設立された。
    
          この日、猪木はタイガー・シンと組み、ベイダー・浜口組と記念試合を
          行い、これに勝つ。 また、武藤がムタに変身し、天井から登場した。

 ・10月 5日  甲府で闘魂ツアーシリーズが開幕。
 ・10月 9日  クラブチッタ川崎で、ライブハウスでのプロレス大会が行われる。
          ミュージシャンの演奏のあと、藤波と長州のトークショウ、その後
          プロレスの試合が行われた。

 ・10月25日  前橋で「オールスターレスリンググランプリ」大会。藤波が本格的な
          復帰戦
を行った。藤波は越中と組み、長州・浜口と対戦。藤波が長州
          のラリアートから片エビ固めで敗れる。当初、長州・馳組であったのを
          長州の強い要望で長州・浜口組となった。

 ・10月29日  ドリームツアー90シリーズが開幕。四日市で藤波は浜口と一騎打ち
          をして、敗れる。復帰後、初のシングルマッチであったが、腰を攻められ、
          最後は自らしかけた雪崩式のブレーンバスターを決めながら、体固めを
          かえせず。試合後、浜口から「藤波! 燃えろ!」とエールを受ける。

 ・11月 1日  日本武道館大会。藤波は、ベイダーとの対戦予定が変更になり、
          タイガー・シンと一騎打ち。途中で技の攻防もあったが、シンが暴走し
          サーベルを奪った藤波が振り回し、反則負けを喫する。ゴングで腰を
          何度も打ちつけられるなど、疑惑の判定といわざるをえない。試合後
          の藤波の怒りは尋常ではなかった。

 ・11月 6日  和歌山県下での「紀州ツアー」2連戦を行う。ドラゴン・ボンバーズ
          の自主興行。6日は御坊での大会で、藤波は越中・ライガーと組み
          6人タッグで登場。また、バトルロイヤルにも参加した。
 ・11月 7日  岩出町大会。藤波は越中・飯塚と6人タッグで登場。

 ・11月15日  「パイオニア戦志」の興行「パイオニアスピリットイン船橋」大会に
          藤波・越中・ライガー・クロネコが登場。藤波・越中組は、剛・青柳組
          を破る。またライガーはウルトラセブン(高杉)に勝つ。

 ・11月18日  六本木で「突然卍固めライブ」が開催される。

 ・11月26日  宮崎でバトルライン九州シリーズ開幕。藤波は6人タッグで長州組と
          対戦。

 ・11月28日  博多で、藤波は剛と一騎打ち。メインでの対戦だけに注目を集めたが
         「長年追い求めた」という割には剛はふがいない印象も。とくに試合序盤の
          剛の下手な流血には観客から失笑が漏れた。場外ばかり求める剛に気合を
          いれるように藤波が試合を組み立て、剛の得意技を次々に受けきり、最後は
          フライングエルボーから一気に押さえ込んで、これが復帰後のシングル戦での
          初勝利
となった。

 ・12月 3日  イラク・バグダッドで「平和の祭典」が行われる。藤波は参加せず。
          人質の解放に成功し、猪木ほか一行は9日帰国。

 ・12月 7日  神奈川・愛川町でバトルファイナルシリーズ開幕。藤波は越中と組み
          タッグ。マサ・小林邦組に勝つ。この日の放送のゲスト橋本は、藤波の
          腰に関して「半分も快復していない」と話す。

 ・12月13日  両国でシリーズ最終戦。藤波は木村と組んでメイン登場。木戸・長州組
          と対戦。藤波が木戸のキドクラッチに敗れる。

 ・12月23日  藤波かおりさんの「藤波辰爾の400日戦争」がラジオで流される。

 ・12月下旬   関西テレビの「土曜大好き8:30」に藤波夫妻が出演。司会の板東英二
          と軽妙なトークを展開。食生活についてや、夫妻のなれそめも披露。26日
          の浜松大会も宣伝した。

 ・12月26日  「キングオブキングスイン浜松アリーナ」大会。藤波は長州と激闘。
          回転足折り固めで勝ち、IWGP王座を奪取。なお、この日、テーズが
          蝶野と、ニックがマサと、マツダが木戸と特別試合をした。


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