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 ドラゴン大年表 

  平成元年(1989年)  35歳     平成になり、連戦するも、腰が悪化。ついに長期欠場へ


ドラゴン大年表

昭和64年・平成元年(1989年)


 ・ 1月 5日  東京スポーツ新聞社の「プロレス大賞・殊勲賞」を受賞。

 ・ 1月 6日  後楽園で、新春黄金シリーズ開幕。
          猪木・藤波・長州が6年3カ月ぶりにタッグを結成。
          


平成 元年(1989年)  
          
          天皇陛下の御崩御に伴い、7日の川崎大会、8日の後楽園大会が
          中止になった。

 ・ 1月10日  千葉大会。藤波と長州はバーニングバトル3番勝負で、藤波はこの
          日からバンバンビガロと3連続シングル戦。
           試合中、ビガロがロープにのぼる際に、足を踏み外して転落。

 ・ 1月16日  藤波は、大阪で、ビガロとの3番勝負第2戦。空中胴締め落としで快勝。
          IWGPタイトル5回目の防衛。

 ・ 1月26日  唐津で藤波はビガロとの第3戦。反則勝ち。
 ・ 1月31日  岐阜で藤波・長州組とベイダー・ビガロ組が対戦。藤波がビガロにフォー
          ル負けを喫す。

 ・ 2月 3日  山形で、藤波・長州組が、ベイダー・ビガロ組と無効試合。なお、この日、
          グレコ・エルモソのオカマコンビが、藤原・健吾組と対戦した。藤原・健吾
          組は、まもなくIWGPタッグに挑戦する(9日)というのに。

 ・ 2月 6日  藤波が、「笑っていいとも」のテレホンショッキングに生出演。その前週
          の南高節からの紹介。藤波はチャック・ウイルソンにつなぐ。

 ・ 2月 9日  札幌中島で藤波はベイダーと一騎打ち。敗れる。藤波は通算成績を
          4戦、3勝1敗とした。(3勝はビガロから)
 ・ 2月10日  後楽園でシリーズ最終戦。藤波は猪木と組み、ベイダー・モーガン組に
          勝利。

 ・ 2月22日  両国でスペシャルファイトイン両国大会。藤波はビシャス・ウオーリアーを
          破り、IWGPタイトル6回目の防衛。ソ連の選手がエキシビションで初登場。
          この日、長州はラリアート6連発で猪木を完全フォール。猪木の
          号泣が印象的。ユセフトルコの引退式も行われた。

 ・ 2月25日  ビッグファイトシリーズ開幕戦が、沖縄の奥武山で行われる。
          藤波は長州と組み、ボブオートンジュニア・アバランチャ組に快勝。
          突然、猪木が第1試合に出場し、ロンスターに勝つ。

 ・ 3月 5日  山口大会。メインの6人タッグに藤波・木村と佐野が登場するも、
          ウオーリアー・ペレス・カステロ組に敗れる。猪木は第1試合でマシ
          ーンに勝つ。
 ・ 3月 6日  小野田大会。第1試合出場を続ける猪木がこの日は欠場。本部席
          にある「猪木席」に藤波が座り、第2試合まで観戦。
 ・ 3月15日  藤波は猪木とともに、中日ドラゴンズの星野監督と対面。

 ・ 3月16日  横浜でシリーズ最終戦。藤波はジェリー・ローラーを破り、IWGPタイトル
          7回目の防衛
。ローラーの3発目のフィストドロップをキャッチしてからの逆転勝ち。
          藤波のこのタイトルの防衛最多記録となった。
          入場時には「ネバー・ギブアップ」の大きな幟を持ち「セーラーズ」のトレ
          ーナーを着た応援が先導した。
          この日、荒川真が引退試合。クロネコを破った荒川に、藤波から花束
          が手渡された。また、猪木が第1試合で藤原と対戦、勝利。
                      <資料:猪木の第1試合の全試合記録(リンク予定)>

 ・ 3月20日  恒例のお花見パーティが行われ、藤波・坂口・長州ら選手と家族、
          フロントが歓談した。

 ・ 3月      TBS放送で、「ウルトラマンをつくった男たち・星の林に月の舟」が
          放映された。藤波は、科学特捜隊の隊長(小林昭二)の役で、
          物語の進行上、重要なせりふもある。主演は、三上博史・南果歩。

           科学特捜隊隊長(藤波) 「ハヤタ!勝手なまねは、許さんぞ!」


 ・ 4月 5日  藤波は、4月24日の日米ソ3国代表のトーナメントにIWGPベルトを
          懸けて権威を高めたいという理由で、IWGPのベルトを返上。(11日に
          正式に記者会見をした)

 ・ 4月13日  上越でバトルライン闘強導夢シリーズ開幕。猪木が越中に勝つ。
          藤波は6人タッグで、長州・木村と組み、ベイダー・レイガンズ・ソイヤー
          に敗れる。

 ・ 4月24日  「格闘衛星・闘強導夢」大会。初の東京ドーム興行。藤波はドーム杯
          トーナメントで、ベルゴビッチに勝つも、準決勝でベイダーに敗れる。
          長州は橋本に敗れ、決勝はベイダーが橋本を破ってIWGP王座につく。
          猪木はチョチョシビリに敗れる。獣神ライガーが初登場。
           なおこの日の「笑っていいとも」には小鉄が出演。かつらを被って登場し、
          タモリを相手に軽快なトークを展開。東京ドーム大会を宣伝した。

 ・ 5月12日  静岡で、日・米・ソ対抗戦シリーズ開幕。
 ・ 5月15日  新潟で、藤波は木村と組み、長州・マサと対戦。木村が首固めでマサ
          からフォール勝ち。
 ・ 5月19日  後楽園で、藤波の「日本A」チームが、「日本B」チームにストレート勝ち。
          藤波は佐野に勝つ。
           日本A=藤波、長州、マサ、木戸、木村
           日本B=越中、後藤、佐野、野上、松田
 ・ 5月20日  京都で、「日本A」チームがアメリカチームに勝つ。藤波はピーターソンに
          勝つ。
           アメリカチーム=ビガロ、モーガン、スタリオン、ウイリアムス、ピーターソン

 ・ 5月22日  福岡で、「日本A」チームがソ連チームに敗れる。藤波はザラソフに勝つ。
          この結果、全勝でソ連チームが優勝。
           ソ連チーム=ザラソフ、エブロエフ、ザンギエフ、ベルコビッチ、ハシミコフ
 ・ 5月24日  姫路で、藤波は長州と組み、ベイダー・ビガロ組と対戦。藤波がベイダーに
          フォール負け。

 ・ 5月25日  大阪城で、藤波は長州と組み、ベルゴビッチ・ザンギエフ組に勝つ。藤波に
          とってソ連軍団との最後の対戦となる。(相手はザラソフ?調査中)
           この日ハシミコフがベイダーに勝ち、IWGP王座につく。また、猪木は
          チョチョシビリに勝って雪辱を果たす。藤波・長州とも猪木のセコンドに
          つき檄をとばした。

 ・ 5月29日  東京・全日空ホテルで「藤波辰巳を讃える会」が開催され、猪木以下の選手
          の他、剛、高杉、船木、荒川らが参加。

 ・ 6月15日  猪木が戸倉尚美さんと婚約発表の記者会見。藤波は長州と共に同席した。          
 ・ 6月16日  猪木が社長を辞任。新社長には坂口が就任し、現役引退を発表。
          後楽園でサマーファイトシリーズの開幕。藤波はグレート・コキーナと一騎打ち。
          巨漢のコキーナをボディスラムで投げつける。猪木が参議院選挙に向けてリング
          上から「異種格闘技」を宣言。
 ・ 6月20日  猪木が参議院議員選挙への出馬表明。党名は「スポーツ平和党」
          この事務所開きに、藤波はじめ、坂口、長州、ベイダーらが駆けつける。

 ・ 6月22日  佐久でメインの藤波はベイダーと一騎打ち。ベイダーに首固めで勝つ。
          重量級のベイダーの強烈なバックドロップで、試合には勝ったが、この夜から
          腰痛が悪化。
                                                          (試合内容詳述のこと)
          「腰から下に電気が走った。痛みで口もきけなかった」

           2011年のベイダーのインタビューより                         
           「このときは、やってしまったか、と思った。あとは、藤波のカムバックを
            祈るしかなかった」

           2018年のインタビュー記事での藤波の回想
          「バックドロップを受けた際に、脚に電気が走ったような感じがありました。それまでも何度か
          同じような経験があり、時間がたてば元に戻ることができていたので、その時は試合をそのまま
          続けたのですが、試合が終わって、控え室に戻ったとたんに動けなくなったのです。
          「いつもの痛みとは違う」と感じたので、試合後すぐに、団体のスタッフに車を運転してもらい、東京
          まで戻り、知り合いの医者、整体師に頼み込んで診てもらいました。



 ・ 6月24日  藤波は、夕張でカーシュナーに勝つ。この後、北海道シリーズ(全8戦)と
          青森大会に無理して参加。

 ・ 7月 3日  青森大会で、長州と組み、高野・マシン組と対戦。痛めている腰にふたりがかり
          の攻撃を受けてしまい、場外で倒れたまま起きあがれず。
           孤軍奮闘の長州が押さえられてしまった。
          それにしても、この日の辻アナの「藤波が棺桶に足をつっこんでしまったか!」は
          その後の闘病生活に思いを馳せると、最低の実況。

 ・ 7月 4日  藤波は、五所川原大会の6人タッグに長州・木村と組んで出場。
          この試合が長期欠場前の最後の試合となる。(「藤波辰巳」としても
          最後の試合となる)
          相手に重量級のベイダーとコキーナがいた。この試合を最後に、

          腰痛で動けなくなる。治療に専念することに。
          
          「椎間板ヘルニア」と診断され、本格的な治療に専念。
          座薬と内服、厄払い、カイロプラクティック治療。
          歩けず、横にもなれず、眠れない状態が続く。
          鍼治療。気功治療。整体治療。心霊治療。温泉治療。・・・。

          座ることもできないまま、ソファーでの仮眠状態。
          こどもの泣き声にも痛みが走ったという。

          のちのインタビューで「ピストルを持って来い!」と痛みとつらさを
          表現。「自らの生命をなきものにしようとした」という話も伝わる。

 ・ 7月24日  猪木が参議院委員選挙に当選。初のプロレスラー議員の誕生。

          藤波は、次の7月28日〜8月10日の「格闘衛星 日米ソ3国シリー
         ズ・パート2」を欠場。

 ・ 8月23日  藤波、記者会見で、長期欠場を表明。(以後全てのシリーズを欠場

 ・ 9月     藤波の新しいファンクラブ「DRAGON FREEK」が発足。
         当初、藤波の負傷欠場からの復帰を全国的に支援しようという意図で、全国的
         に応援メンバーを募集したという。専門週刊誌の広告には、
         選手の入場用コスチュームや多数のグッズ制作・販売に特色があり、美人会員
         が多いということもききましたが・・・。

 ・12月 6日  藤波は、大阪府立で、リング上に登場して挨拶した猪木とリング対談をおこなった。

 ・12月31日  モスクワで初のプロレス。当時の「ソ連」でのプロレス興行はきわめて異例。
          猪木は英雄チョチョシビリと組む。大会のパンフレットには藤波も映っているが、藤波は参加せず。 

          
          


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