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 ドラゴン大年表 

  昭和56年(1981年) IWGP始動。激動の年、伝説の田園コロシアム大会。ニューヨークのMSGで突然の婚約者紹介。そして藤波はヘビー級に転向宣言から、かおり夫人と結婚。激動の一年。ジュニアヘビー級王座を返上し、ハンセン・ボックとも激闘。


●昭和56年(1981年)  27歳   ジュニア最強 

 

 月日
新日本プロレス・全日本プロレス・国際プロレス・世界のプロレス藤波選手を中心としたプロレス関連の主な出来事
試合・大会関連  タイトルマッチ  トピックス 主なエピソードなど
新日本プロレス・全日本プロレス・国際プロレス・世界のプロレス
1月4日
東京スポーツ新聞社の「プロレス大賞」受賞式で藤波は「殊勲賞」を受賞。
          猪木が最優秀選手賞、木村が技能賞、高野が努力賞、大衆賞にハンセン。
1月9日 古河で新春黄金シリーズが開幕。藤波は猪木と組んで初出場のサモアンズと対戦。
 1月16日   藤波は、四日市でトム・プリチャードとWWFジュニアのタイトル戦。
    入場の際に上田馬之助が乱入し、藤波をサーベルで殴打しまくり。流血させられた。放送席に来た上田と小鉄が喧嘩。藤波は白い包帯を頭に巻いて試合に臨んだ。
   最初はフェアな展開だったが、藤波のテクニックが上回っていたこともあり、プリチャードが額の傷口を狙い、ラフファイト一辺倒に。藤波は大流血の中、一気に原爆固めを決め、19回目のタイトル防衛。
   この試合後半、大流血の藤波を心配する保坂アナが、リングサイドでずっと立ち上がったまま見つめていたのが印象的。
 2月6日  藤波は、この日札幌中島で坂口と組み、ケンパテラ・ダンカン組と対戦。引き分けに終わるが、その前に、ファンクラブのインタビューを受けていた。そのころの、ファンや藤波の考えがよくわかるので、一部を採録した。


 藤波「確かに日本プロレスの頃の馬場さんは、凄かったよ。でも、今は、引き際というものを考えていないでしょ。猪木さんだって、引き際というものは考えていると思うよ。真剣にやっていれば、けがをするのがあたりまえだからね。猪木さんはね、おとといの試合の時(4日の大阪府立でのケン・パテラ戦)、点滴を打って試合をしたんだ。こういう、猪木さんやハンセンがやっているのが、本当のプロレスだと思う。」(本当のプロレスとは?)

  「もうヘビー級もジュニアヘビー級もないよ。ジュニアだからって、実際僕なんかいつもハンセンやホーガンと闘っているんだから。もっとも、アンドレは別だよ(笑)」(ヘビー級に転向しないのか聞かれて)

  「みんな僕のことを練習好きだとかいうけど、僕は練習なんか好きじゃないよ。でも、練習しなかったらプロレスラーじゃないよ。君たちは学生だから勉強しなくちゃだめだろう。それと同じだよ。(中略)  巡業中は試合前に軽くやる程度。それから、うちの選手は、猪木さんにしろ、皆サポーターなんかしてないだろう」(練習について)
  「えーと、2時ごろに食べて、試合の時は胃の中はからっぽだね」(試合前の食事について)

このインタビューを終えた藤波は、別のファンクラブの女子を伴い控室の中で、もうひとつインタビューを受けた後、群がるちびっこファンに気軽にサインに応じていたという。

なお、このインタビューの前夜、札幌市の劇場にてサモワンズ2号をはじめ数人の外国人レスラーが地元の人と乱闘騒ぎを起こしていたそうで、それについては藤波の言及はなかったようす。
              (北海学園大学・プロレス観戦愛好会会報・闘う男たち7号より) 
2月8日 藤波は、浪岡でケンパテラと一騎打ち。両者リングアウトとなる。
 3月6日  勝田でWWFビッグファイトシリーズ開幕。藤波は凱旋帰国の浜田と組み、
          アグアイヨ・アニバルと対戦し、勝利。 キラーカーンも凱旋帰国し猪木と組ん
          で、ムラコ・ホーガン組と対戦した。
 3月20日  会津で、藤波は猪木と組んで、アグアイヨ・フィッシュマンのメキシココンビと対戦。
 まったくの実力差から、藤波は「猪木さんが出るまでもない」といった余裕のたたずまいを見せて、10分足らずで料理してしまった。なぜにこのようの試合が組まれたのかは非常に謎。
 3月26日  藤波は、清水で木村健吾と引き分け、WWFジュニアヘビーのタイトル20度目の
          タイトル防衛。試合開始早々から藤波はドラゴンロケットをしかけ、これに対して健吾は
          プランチャ。
 4月1日  IWGP委員会の発足記念パーティーが行われ、猪木が挨拶。
          世界を5つのゾーンにわけて予選をおこない、決勝を行うというもの。
 4月3日  後楽園でWWFビッグファイトシリーズ第2弾が開幕。魁選手の引退式
          も行われる。魁(北沢)は藤波の日本プロレス入団時からの恩人である。
          メキシコからブラックキャットが来日し、修行に入る。(21日にデビュー戦)
           4月6日秩父市民体育館
 4月10日  藤波は、北九州市西日本総合展示場でダイナマイト・キッドを背骨折りで破り、WWFジュニアヘビーのタイトル、21回目の防衛。
   
  ただ、テレビでは、キッドのコーナートップからのダイビングヘッドバッドなど、肝心な場面が見れなかった。というのも、この試合中にテレビ生中継の画像が乱れ、激闘の様子が、数分間にわたって映らないというアクシデントがあった。画像の乱れが激しく、コマーシャルに入っているうちに、藤波のアトミックドロップからのアルゼンチン式の背骨折りが決まってギブアップ勝ち。
   ※この珍しい中継トラブルは、関門海峡を通る大型船舶が、中継電波をさえぎったためにおこった、と後日判明した(プロレスとは無関係ですけど)
 それにしても、アルゼンチンバックブリーカーでのギブアップ勝ちというのは珍しい。
 4月17日   鹿児島で「IWGPアジアゾーン予選」が開始される。この日、藤波は第1回戦の相手・木村を破る。
 なお、木村健吾はこの試合で「雪崩式ブレーンバスター」を本邦初公開。しかし、受け身を取り損ねて、かけた木村のダメージが大きかった。阿修羅・原が公開練習している報道を見ての挑戦だったという。
  「あんな技をかけられて、すぐに反応した藤波が優れていたということです」と木村は話している。
 この日、猪木はハンセンとタイトルマッチを闘うも没収試合となる。
 4月23日    蔵前で、藤波はカネックと対戦し、反則負けになる。
 タイガーマスクがダイナマイトキッドを相手に華麗なデビューを飾る。
 このタイガーマスク(佐山)のデビューが、藤波をジュニアからヘビー級へと転向させる要因のひとつとなった。
  藤波「タイガーは凄いよ。僕はバック宙も出来ないんだから」
  なお、猪木はハンセンに勝ち、IWGPにむけタイトル封印返上。。
 4月25日   藤波が歌手デビュー。「命火」「勇者」「闘いのあとに」「これからは二人」など6曲をレコーディング。
 5月1日  藤波はメキシコでカネックのUWAヘビー級選手権に挑戦。1対1の後、反則を取られ、藤波のタイトル奪取はならず。猪木はバックランドと引き分け。
 5月2日   ボストンでキラーカーンがアンドレと対戦中、トップロープからのニードロップがアンドレの右足に当たり骨折に追い込む事件が発生。
  これ以降、シリーズでアンドレと当たる小沢は目の敵にされ苦しい闘いとなったら、かえって足を狙うそぶりも見せ、ファンに喝采された。
 5月8日   川崎で、第4回MSGシリ−ズが開幕。リーグ戦は総当たりで行われ、日本人同士の対戦はIWGPの予選を兼ねる。
  この日、藤波はマイクマスターズに勝つ。また、この日、突然ブッチャーが登場。ブッチャーは、IWGPへの参戦を表明。いわゆる、引き抜き合戦の始まりであった。
 5月12日  名取大会で、藤波はハンセンと公式戦。場外でラリアートを食い、フェンス外にまで飛ばされ、痛い反則勝ちを拾った。
 5月14日  藤波は宇都宮でMSG公式戦。3分足らずでシンの毒蛇絞めに敗れる。
 5月22日   藤波は、福岡で猪木と闘い、敗れるも、ヘビー級転向を決意する。
 なお、この日の試合はノーTVであったが、藤波のテーマ曲が場内に流れて入場したという。このようなことは、猪木以外の選手でははじめてのことという。
 5月29日  高松大会で、リーグ公式戦。クリスアダムス戦であるが、試合前に乱入したシンに額を割られ、大ピンチ。アダムスに原爆固めで勝利
 6月4日   シリーズ最終戦。藤波は、蔵前ではじめてタイガーマスクと組み、マスターズ・アダムス組に勝利。
  またリーグ戦の決勝進出をかけて、猪木がシンと闘い、両者リングアウトでハンセンが優勝となるも、再試合を急遽ランバージャックデスマッチで行い、シンの急所うちで猪木が反則勝ち。
 その後の「優勝決定戦」では、猪木がハンセンに勝ち4度目の優勝。
 シンはこの試合を最後に全日本プロレスへ。藤波は技能賞を受賞。
 6月8日   藤波は、ニューヨークMSGで、谷津と組みムーンドックスにストレート勝ち。
  実に、WWFタッグ王者組に勝つ。(反則がらみでタイトルの移動はなし)

 試合後、リング上からフィアンセの沼谷かおりさんがMSGのファンに紹介された。新間氏によるサプライズ演出だという。「絶対に、フィアンセのなまえを間違えるなよ」と念を押していたとか。日本より先にフィアンセを紹介していたことになる。
 6月10日   この日の東京スポーツ紙上で、藤波が「婚約者」を伴ってニューヨーク入りしたことが、報道された。これにより、新日本プロレスの事務所や東京スポーツ社には、多くの問い合わせや女性ファンからの抗議の電話が殺到(!?)した。
 6月12日   藤波は、ロサンゼルスでケン・ウエインを破り、WWFジュニアヘビーのタイトル22回目の防衛。
 6月24日  創立10周年記念興行。蔵前で谷津の日本デビュー戦。試合前にはビッグマウスだった谷津であったが、猪木と組むも、相手が悪かった。はじめてタッグを組み、しかも、積極的に攻めに出たブッチャー・ハンセン組に惨敗。凶器に対する谷津の反応に、その後のレスラー生活が危惧された。(実際、試合の様子を見た肉親からは「帰ってこい」との声がかかったという。そりゃあ、そうでしょうね。かわいそうです)
 この日、藤波はブラックキャットを一蹴。
 6月29日  新宿の京王プラザホテルで、沼谷かおりさんとの婚約を発表。
  この席で新間氏が「猪木の後継者として藤波を」と発言した。
 7月3日  後楽園でサマーファイトシリーズ開幕。藤波は、レス・ソントンを破り、WWFジュニアヘビーのタイトル23回目の防衛。
 7月10日   藤波は、札幌中島で、スタンリー・レーンを破り、WWFジュニアヘビーのタイトル24回目の防衛。場外で原爆固めを決め、そのままリングに上がっての豪快なリングアウト勝ち。
 7月29日   金沢大会。この日のファンサービス・サイン会をつとめた。
           
 7月31日
 藤波は、大阪で、レス・ソントンを破り、WWFジュニアヘビーのタイトル防衛。
  25回目の防衛に成功したことで、自己の持つ防衛記録を更新した。
  なお、この日、ソントンは「NWAジュニアヘビー級」のベルトを持って対戦したが、実は、アメリカでは無効とされていたものであった。
  また、この日、ローランドボックが初登場し、木村健吾を95秒で破る。
 8月6日   蔵前で、藤波はスタンリー・レーンをアルゼンチンバックブリーカーで破り、WWFジュニアのタイトル防衛。
実は試合中に、レーンの変則的なハイキックが藤波の後頭部に決まり、レフェリーのユセフ・トルコの超はやいカウントに見るものは。ひやひやしたが、最後は力技で豪快にb勝利。26回目の防衛。

  藤波は、ヘビー級への転向を意識して、この頃から「回転足折り固め」などの技は封印し、あえて重量級の技を多用したという。

 なお、この日、猪木はマスクド・スーパースターと賞金・覆面剥ぎマッチをやり、最後は久々の「原爆固め」で見事に勝つ。
 8月9日   羅臼で国際プロレスが最終興行。最後の試合は、鶴見五郎vsテリーギブスの「金網デスマッチ」だった。新日本プロレスと全日本プロレスとの過剰な企業闘争のあおりをうけての興行停止とされる。
   藤波はタイガーマスクとともに蓼科でトレーニングを行った。
 
 8月21日  大宮でブラディファイトシリーズが開幕。藤波は猪木と組み、ハンセン・ロバーツに勝ち、幸先のよいスタート。
 9月18日  広島でタイガーマスクと組み、ソリタリオ・ソラール組と対戦。両者リングアウトとなった。藤波は、試合後のソリタリオの挑発にマイクを持ち、「東京の田園コロシアムで、おまえをやっつけてやる!」と説明的にアピールした。
 9月22日   高崎大会。会場前のファンの長蛇の列のために自動車が田んぼに落ちる事件が発生した。「新日本プロレスブーム」を象徴するような事件である。
 9月23日  

 田園コロシアム大会。

 藤波はエル・ソリタリオを破り、WWFジュニアヘビーのタイトル防衛。27回目。

   タイガーマスクとソラールの一騎打ちは、タイガーの動きについて行けなかった「太陽仮面」ソラールが負傷し、厳しい小鉄のレフェリーにも、場外へ出て戦意喪失で負け。
   ど迫力で「リングが動いた」といわれるハンセンとアンドレの歴史的な試合(レフェリーが巻き込まれ、救急車で運ばれた)や、メイン前に登場の国際軍団の乱入と、その際、律儀なラッシャー木村の「こんばんは」事件が起きた。
   苦虫をかみつぶしたような表情の猪木は、IWGPに向けて戸口と一騎打ちで、勝利。

              

なぜか「桜井康雄さん」が
ポスターに!

出場してたのか?(笑)
 10月8日  蔵前の新日vs国際軍団対抗戦で、藤波は寺西と対戦し、技巧派同士の闘いの末、原爆固めで勝つ。
  タイガーマスクが「覆面剥ぎマッチ」でマスクド・ハリケーンに勝ち、正体がボビー・リーであることがわかった。リーは痛めていた腰を強打し、これが事実上引退試合となった。
  ハンセンとホーガンのタッグにブラボー・長州組が対戦したが、ハンセンのラリアートが長州に決まる。
  この日のメインの猪木は、ラッシャー木村と対戦し、国際の挑発に暴走して反則負け。
 10月16日   大分で、闘魂シリーズ第8戦。
 藤波は、スチーブ・トラビスを破り、WWFジュニアを28度目の防衛。試合後、「ヘビー級転向」を宣言し、タイトルを返上。藤波の通算52回のタイトル防衛記録は不滅。

  この日の挑戦者は100キロの体重制限を越えていた(減量失敗で、103キロ)が、トラビスは「どうしてもやらせろ」、藤波も「ウエイトは関係ない」、そして大分のファンも「ぜひやってほしい」との要望が強く、コミッショナーの特別裁定で挑戦できたとされた。(以上、実況中継より) で、それでいいのでしょうか?と当然の疑問も。

 もちろん、藤波自身はこの試合のために体重を落として臨んだが、ヘビー級の技は重く、ラフもまじえて、トラビスの気迫が凄かった。特に終盤に、ドラゴンロケットを場外で受け止め、そのままアトミックドロップに行った攻撃は圧巻。
 ただ、当然、ヘビー級も視野に入れた藤波の気迫はそれを上回り、最後は、猪木張りのブレーンバスターという力技でフォール勝ち。意外なことに、地元の大分では初めてのタイトルマッチであった。この試合で、藤波にとっての、「ジュニアヘビー級」を終了させた。

    

 試合後のセレモニーで、乱入した浜口らの国際軍団にたいしては、マイクで語気を強め、「場所をわきまえて来い!」と怒鳴りつけた。

なお、藤波は、「ヘビー級に転向して、新たな挑戦をする」とインタビューでは応えたが、近しい者には「会社の方針だから、しかたがない」と元気なく、漏らしていたともいう。 「タイガーマスクの出現が、衝撃的だった」ということも後年は語られている。

 「ヘビー級にはなったが、中途半端なヘビー級で、苦労しましたね」(藤波2011
 10月26日   闘魂シリーズ開幕戦で、長崎国際体育館大会。藤波はブッチャーと一騎打ち。
  反則攻撃に怒った藤波は、場外からビール瓶を持ち出して殴りつけた。
 10月28日   奥武山大会で、藤波は木戸と組み、国際の浜口・寺西組と対戦。試合は大荒れで、結局没収試合に。怒った国際軍団のラッシャー木村が、実況中継の放送席を襲撃、古館アナに暴行をはたらいた。この際、上半身裸になって止めに入った小鉄の勢いは、完全に木村を越えていた。リング上では猪木もかけつけ、木村に鋭い蹴りを入れた。
 11月5日  蔵前で、正式に藤波がヘビー級転向宣言
 その第1戦で、藤波は浜口と対戦。技を出し尽くしても勝てない浜口が、最後は場外フェンスから藤波を投げ出した。ただ、藤波は動きも固く、ヘビー級転向を意識しすぎの感じも受けた。なお、この日、猪木のタバスコの輸入関係者も挨拶。その後、猪木は、ラッシャー木村とランバージャックデスマッチで闘い、再三の腕ひしぎ逆十字で勝つ。
           
そのほか、ブッチャーが、アレンの負傷により、対戦相手を選んで闘うことになった。そのとき、観客の期待するマードックではなく、ブラボーを選んだため、ブッチャー株はおおいに下落した。
 試合そのものもブラボーの精悍さばかりが目立ち、ブッチャー得意の「フォーク攻撃」も精彩を欠いた。
 11月13日   韓国遠征で、猪木、藤波らが済州市長を表敬訪問。午後の試合で、藤波は韓国の林に勝つ。翌日は施設訪問のあと、試合では星野と熱戦を展開。両者リングアウト後、5分延長引き分け。
  なお、後年、星野が「藤波と闘って、済州島では、俺が勝って、ベルトも巻いたよ」と語っているが、このときの遠征と思われる。詳細は不明だが、「韓国の英雄」星野の人気は絶大で、それもうなずける話ではある。
 11月16日  日田市「清田産業」で藤波サイン会が行われた。
           
 11月19日  後楽園で第2回MSGタッグリーグの前夜祭が行われた。全選手が出場し、その席上、東京スポーツの編集局長から「翌年から行われる飛龍十番勝負に、藤波が全勝もしくはこれに相当する戦績を残した場合に500万円が贈られる」と発表された。
 16人参加の100万円争奪バトルロイヤルも行われ、藤波は4番目に退場。優勝は坂口。レフェリーは猪木がつとめた。
 11月20日 志木でタッグリーグ公式戦が組まれ、猪木と組んだ藤波は、アンドレ・グレイ組と対戦。両者リングアウトとなる。

 藤波がアンドレのスープレックスとヒップドロップを喰い、猪木も苦戦。腕ひしぎでアンドレを締め上げるも、攻めきれず。藤波がアンドレにコーナーからアタックするも、それもキャッチされ、それでも攪乱して、猪木と二人がかりでアンドレをボディスラム。二人で体固めに押さえるも、ふっとばされてしまう・(もし、スリーが入ったら、勝ちなんだろうか?)

 リング上に仰向けに抑えられた藤波のおなかの上をアンドレが踏みつけて歩く。18文キックがまともに藤波の顔面に。猪木がグレイを押さえて、藤波のニードロップ。藤波がグレイにドラゴンロケット。アンドレがかけつけて藤波を抱え上げ背中からたたきつけるあらっぽい攻撃。猪木がグレイに延髄斬りを決めたが、グレイが場外に落ちてしまい、そのまま、両者リングアウトに。ふたりがかりとはいえアンドレにダメージを与え、猪木の延髄も決まっていただけに惜しい試合だった。 
 11月26日   「ビッグレスラー」誌が創刊。藤波と歌手の井上望との対談が掲載された。

  藤波「いま、鼓膜が破れてます」
  井上望「ええっ?」  
  藤波「うん、ちょっと国際の選手にやられちゃってね。でももう片耳は大丈夫だから、安心してください」。
   望 「わあ! のっけからスゴい話になっちゃった。国際の人たちとはモメてるんですか。」
  藤波 「モメてるっていってもリングの上だけだけど、国際は会社がなくなっちゃったでしょ。選手も必死な、わけですよ。」
   望 「私たち芸能人は違う会社の人たちともよく話すし、ライバルっていっても仲はいいんですよ。」
  藤波 「そういうのってプロレスの世界にはないですよ。もともとレスラーほプライベートな話をしない方だし。でも、今のところ国際の選手とは口も聞かないですね。」
   望 「へェー、でも別に憎くて親のカタキってみたいじゃないんでしょ。」
               つづきを読む(リンク)
 12月4日   郡山で猪木・藤波組は木村・浜口と対戦、猪木が浜口をフォール。
  なお、この日からローランボックが登場し、長州をわずか3分あまりでマットに沈めた。
 12月6日  十和田でリーグ公式戦。猪木・藤波組は、長州・谷津組を破る。
 12月8日   蔵前で、リーグ公式戦。藤波は猪木と組み、ハンセン・ボック組と対戦。名勝負誕生。

   ハンセンもボックもいいところを見せようとおおいに張り切って、猪木よりも藤波の出番が多い展開になり、いいように大技を決められた。藤波もハンセンをバックドロップに捕えたりして、文句なしの名勝負となった。
   最後は、藤波がボックの危険なスープレックスをくい、見事なフォール負け。
           受け身の取れないボックの人間風車
 12月10日  大阪の第2回MSGタッグリーグ戦。
 、猪木・藤波組は優勝決定戦に出場するために連続で2試合行う。
 緒戦のハンセン・マードック組にはなんとか勝つも、優勝戦では藤波がアンドレにつぶされる。
 優勝したアンドレのパートナーはレネ・グレイ。
 12月14日  藤波は新宿の京王プラザホテルで、沼谷かおりさんと挙式。媒酌人は高橋典義氏。
   
  披露宴会場にはリングが作られ荒川と新倉のエキシビションマッチも行われた。そのあと、ガッツ石松がリングにあがり荒川と対戦するハプニングもあるなど、大変にり盛況であった。
  なお、ちょうどこの日、ハンセンが全日本に引き抜かれたという報道があった。
 12月年末   テレビ朝日系の「オールスター・スポーツ選手歌謡大賞」に出演
   かおり夫人と「銀座の恋の物語」を熱唱。
      審査員に猪木がいて、「プロレスも、これくらいうまいといいんだけど・・だはは」と評。
     番組にはタイガー・マスクも出演。


  このころの「プロレス誌」に、藤波「このごろ、太っちゃってね(笑)」
  読者コーナーでは、「ヘビー級に転向した藤波に期待する」が多く、また「飛龍十番勝負が試金石に(山本小鉄)」との記事が多くなった。



   

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