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 ドラゴン・炎の飛龍・大年表 

  昭和53年(1978年) 藤波、ニューヨーク・MSGでジュニアヘビー級のチャンピオンに。凱旋帰国。ドラゴンブーム! 
                    日本とアメリカを股に掛けたチャンピオンロード!
 藤波さんにとって「もっとも長い1年間」


●昭和53年(1978年)  24歳

  最高の年を、海外で迎える。


 月日
新日本プロレス・全日本プロレス・国際プロレス・世界のプロレス藤波選手を中心としたプロレス関連の主な出来事
試合・大会関連  タイトルマッチ  トピックス 主なエピソードなど
新日本プロレス・全日本プロレス・国際プロレス・世界のプロレス
1月 藤波は、エルトレオで、グラン浜田と組んでカネック・ピラノ3世組と対戦。藤波がカネックに原爆固めを決めて勝つ。この試合が藤波のメキシコでの最後の試合となり、アメリカ本土へ遠征に。藤波「ゴッチさんが、アメリカへ来いと電話を掛けてきたので」

なお、これに先駆けて、藤波は、レイ・メンドーサと闘い、1時間20分、藤波が「逆さ押さえこみ」で敗れるという情報もある、(この試合でメンドーサは左耳を負傷、藤波も足を完全に捻挫したという) この情報は、1978年8月13日の実況で舟橋アナウンサーよりもたらされ、隣で、解説のグラン浜田が「そうです!」と相槌をうっているが、詳細は不明。
1月13日 ロサンゼルスで、藤波はビクターリベラと引き分ける。この日は、22人参加のバトルロイヤルにも出場。アンドレに真っ向から勝負を挑み、3人目に退場する。この日のビクター・リベラとの引き分けが、藤波自身、おおいに自身となったという。またアンドレにも「顔を狙っての跳び蹴りでいけば、なんとかなる」とも。。
1月21日  藤波はシカゴから、ニューヨークに入る。ニューヨークは数年ぶりの大雪で飛行機が飛ぶか、危ぶまれたという。結局、予定よりも1日遅れのニューヨーク入り。 藤波は、23日にタイトルマッチを控え、この夜、テレビで対戦相手のエストラーダの試合を見て、「これなら勝てる」と確信したという。
 藤波は、新間氏からは「インパクトのある技を出せ」と言われ、桜井氏・舟橋アナにも「明日の試合を見ていてください」と語る。
1月23日 1月23日 ニューヨーク・マジソンスクエアガーデンで WWWFジュニア・ヘビー級タイトルに挑戦。カルロス・ホセ・エストラーダを破り、WWWFジュニアヘビー級チャンピオンに!
      藤波は、初登場のマジソン・スクエア・ガーデンの独特の雰囲気に緊張しながらも、客席に日の丸を見て感激
      したという。 「満員の観客からの熱気で、押し戻される感じでしたよ」(藤波・2012年) 

        藤波は、MSGで、カルロス・ホセ・エストラーダを破り、WWWFジュニアヘビー級選手権を奪取。

   試合は、11分31秒、ドラゴンスープレックス。共にMSGには初登場の両者。緊張した面持ちで試合を進める。藤波のドロップキックの速さと高さに場内がどよめく。互角の展開から、一転、ラフにもちこむエストラーダ。だが、コーナーからのボディプレスを藤波がかわして、うしろから、フルネルソン。次の瞬間、一気にそのまま後方へスープレックス。

            

 舟橋アナがファンから募集するはずの技の名を叫ぶ。 「でました! 飛龍固め! ドラゴンスープレックス!」
          
 リング上で勝利者インタビュー。その第一声は「今日は、客に呑まれちゃって・・・」
 「(スープレックス)は、ゴッチさんの技なんですけど、僕に使っていいと。」「最後のあれ(フィニッシュ)は、ギブアップなんです」と興奮からか早口で。 舟橋アナの「これで猪木さんにいいお土産ができましたね」に絶句。あらためて事の重大さをかみしめていた様子がうかがわれた。
  

#1月23日 ニューヨーク・マジソンスクエンガーデン
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・60分1本勝負
  ○藤波(11分31秒・飛龍原爆固め)カルロス・ホセ・エストラーダ×
※藤波がタイトル奪取に成功!


「当時は、ジャーマンでもすごかったんですけど、ドラゴンスープレックスは、ゴッチさんと、人形相手に練習してました。選手権の前日に、日本から来た新間さんから、何かやれ!と言われて、自分の中では、いちかばちかでしたよ」(2012年藤波)

  後日談  
   大いに興奮して、控室に帰ると、レスラーたちから冷たい視線を浴びたという。当時、原爆固めですら危険な技と認識されていたが、ましてや「飛龍原爆」は未知の技。「エストラーダがケガをしなくてよかった。それと、あとで、暴れださなくてよかった」と藤波は述懐している(2012年)          
 その日の夜、パーティーがひらかれて首脳からも祝福を受け、同時に「2ヶ月に1度」のアメリカでの防衛戦を義務づけられる。

とにもかくにも、この日のこの鮮やかな大勝利が、藤波の名を世界に知らしめて、「ドラゴンへの道」がおおいに開いてくるのである。
この試合は、日本では「ワールド・プロレスリング」で中継され、当時の、猪木やシンの血で血を洗うような試合の連続の中に、大変「さわやかな」印象を与えてくれた。    

1月27日

 ロサンゼルスでマスクド・カナデアンを破り、早くもWWWFジュニアタイトルの初防衛に成功。ドラゴンローリングと呼ばれた「飛龍回転エビ固め」で勝つ。試合は両者の素早い動きを、藤波が首4の字で攻めたり、緩急のある激しい試合になった。
  カナディアンには日本人マネージャーのドクターヒロ・オオタ(=藤井康行・ヤスフジイ・のちのストロングマシン3号)がつき、藤波を挑発。試合後には乱入して藤波にキックを浴びせた。試合終了後で、いきなりの乱入者にやられる藤波を、地元の英雄・チャボゲレロが飛び込んで救出した。

#1月27日 ロサンゼルス・オリンピックオーデトリアム
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権60分1本勝負
  ○藤波(30分9秒・飛龍回転エビ固め)マスクド・カナディアン×

   藤波「エストラーダ以上に、くせ者でした。技はきれるし、スピードもある。ぶつかってみて、すぐ若いということがわかりました。同世代で、しかも相手もチャンピオンですから、異常に闘志が燃えますよ」

   日本ではこの試合の模様のあと、ロサンゼルスUCLAでトレーニングをする藤波の姿が放映され、3月3日に凱旋試合を行うと、盛り上げた。

1月28日  ロサンゼルスで雑誌「ゴング」の取材を受け、ドラゴンスープレックスの誕生秘話を披露。

    ●「飛龍原爆固めの、最初の犠牲者はメキシコで決めたカネックでした。今度日本に行く選手です。
      メキシコでも、あの技は話題になり、メキシコのマスコミが何という技なのか、聞いてきました。
      僕は、ドラゴン・スープレックス!と答えました。ドラゴンは「辰巳」の龍ですから」(大意)
      また、「今は、バックランド、ドリー、ジャンボ鶴田、誰とでも闘いたい」と答える。

 1月 藤波辰巳ファンクラブ「闘竜」(会長・原裕二氏)が結成される。関西を拠点に多くの藤波ファンの交流をはかる。
          会報を重視した活動をこの後も長く展開。
2月 8日 日本では、武道館で猪木が上田と釘板デスマッチを行う。舟橋アナの「針山地獄デスマッチ」の呼称がすばらしい。
上田は、この1年前から新日本に参戦し、シンと組んでNWFタッグを奪取するなど、猪木ら日本組とと「血で血を洗う」ような闘いをくりかえしていたが、この試合がひとつの区切りとなる期待があった。

   この試合のテレビ放送の最後に、「次週予告」として、藤波の「ジュニアヘビー級王座奪取の試合の映像」が映し出された。たいへんさわやかな印象を全国にもたらし、次期シリーズへの凱旋が待たれた。

   このころ、藤波は、グレート・エル・ゴリアスと対戦し勝利したという。(これについては未詳)
 2月15日  この日発売の「別冊ゴング」3月号の表紙に、藤波とマスカラスの握手が使われた。この号のカラー・ピンナップも、技のピンナップも藤波が取り上げられ、さながら「藤波特集」のようであった。
           
 またこの号の「おたよりコーナー」には、藤波辰巳のファンクラブ「若獅子」(仮称)の結成と会員募集の投稿が見られた。
   (これは原祐二氏の名から、1月に結成された「闘竜」のことと思われる)
 2月20日 藤波は、MSGでテッド・アダムスを原爆固めで破り、WWWFジュニアタイトル2度目の王座防衛

 #2月20日 ニューヨーク・マジソンスクエンガーデン
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・無制限1本勝負
  ○藤波(16分3秒・原爆固め)テッド・アダムス×

  この試合は、日本では、スタジオから放送され、猪木と藤波自身とが試合の録画を見ながら解説するという、珍しい方法で放送された。飛行機投げから原爆固めで勝利。
      藤波「猪木さんが試合を見ていたため、緊張した」
      猪木「藤波には、わたしにない部分がある。それは、坂口にもない。藤波はエストラーダに
          まさか、勝つとは思わなかった。あと2年ぐらい海外修行させるつもりだった」
  現地のフィルムのテロップで「TATSUMI FUGINAMI」となっていたのはご愛敬。

  藤波の凱旋シリーズとなる「ビッグファイトシリーズ」最終戦(3月30日蔵前)のタイトルマッチ入場チケットのプレゼントが番組で行われ、おおいに盛り上げていった。
 2月22日 凱旋帰国。羽田空港で記者会見。大勢の記者やカメラマンに戸惑う。
      藤波「みんな猪木さんを待っていると思った。すると猪木さんからポンと背中を押され、おまえだよ! と言われた。嬉しかった」
 2月24日 この日放映された、ワールドプロレスリングでは、藤波の凱旋シリーズとなる「ビッグファイトシリーズ」最終戦(3月30日蔵前)の入場チケットのプレゼントが番組で行われ、藤波への期待を、さらに盛り上げていた。
   (試合は2月20日のテッドアダムス戦を放映)
              
          
 パンフレットの表紙も藤波が大きく、凱旋を祝う!  FIGHTのスペルが・・・
  3月 3日  高崎で凱旋試合。マスクド・カナディアンと一騎打ち。国内初公開の飛龍原爆固めで勝利し、「ネバーギブアップ!
  ★高崎で凱旋試合。マスクド・カナディアンを相手に飛龍原爆固めで勝つ

          ビッグファイト・シリーズは「藤波辰巳凱旋シリーズ」と銘打たれ、各会場先着100名に記念品が贈られた。この開幕戦で、藤波はテレビ朝日から贈られた時価100万円のガウンに身を包み、「ソウル・ドラゴンのテーマ」に乗って小走りに入場。


  試合は、緩急自在の動きから、最後は、見事に「飛龍原爆固め」を決め勝利。試合後のインタビューで、さわやかに「ネバー・ギブアップ!」  ポーンとリングから飛び降りていった。

          
          有名な高崎での、日本初公開の「飛龍原爆固め」の画像

 ◆
ビッグ・ファイトシリーズ 開幕戦 3月3日 群馬・高崎市体育館
 ▼60分1本勝負
  ○藤波(11分42秒・飛龍原爆固め)マスクド・カナディアン×  ※凱旋帰国第1戦

  ※この試合での「初めて」は、飛龍原爆固めの国内初公開と、インタビューでの「ネバー・ギブアップ」
    なお、ドラゴン殺法としてはドラゴンスクリューも見せている。ただし、「ドラゴンロケット」や「風車固め」は出していない。
    (このあたり、実は、藤波さん自身も記憶が錯綜している部分があるようです。)
   このシリーズに参加した外人選手たち
(パンフレットより)
カナディアン・ロンスター・カネック・イワンコロフ
 3月 6日  帰国後初の日本人相手の試合。風車固めを決めて、山本小鉄に勝つ。
    「どれだけ強くなったか、俺が、見てやる」という小鉄だったが、風車固めでギブアップ。
  ※当時、映像で「風車固め」を見ても、どこが痛いのがよくわかりませんでした。必死に力をこめて決めている藤波の姿から「すごい技なんだろうな」という気持ちになりましたが。( cacao86
   なお、この試合では「ドラゴンロケット」が初公開されています。(ミック博士「昭和プロレスマガジン」平成27年他)

 ◆3月6日 埼玉・越谷市体育館
 ▼45分1本勝負
  ○藤波(12分0秒・風車固め)山本小鉄×
 3月10日  郡山でロン・スターを飛龍原爆固めで破る。この試合ではドラゴンロケットを見せ、全国の観客の度肝を抜く

 ◆3月10日 福島・郡山市体育館
 ▼45分1本勝負
  ○藤波(9分12秒・飛龍原爆固め)ロン・スター×

  ※ 「うわああ」と歓声。家族でこの試合を見ていた編者cacao86 は、見逃した母に聞かれて、「飛んだ!飛んだんだよう!」と叫んで説明。家族中で大興奮でした。

    その瞬間!

 この日は「スター・ウオーズのテーマ」で入場。

 なお、この日の放送では、高崎での名言「ネバーギブアップ」について、2年ほど前の亡くなったアメフトの選手のことばに藤波が感激して、それ以来の大好きなことばだと伝えた。このとき「ドラゴンロケットを、初めて飛んだ」という記述が散見されるが、それは「テレビ初公開」ということ。

  ※藤波は当時を振り返って「凱旋第一試合でドラゴンロケットを飛んだ」ということがけっこうあるが、厳密には、山本小鉄戦や、このロンスター戦が最初と思われる。このシリーズ全体をまとめての発言と考えよう。(「凱旋第一試合」では飛龍原爆固めが国内で初公開) また、この当時のインタビューでは、「ドラゴンロケットは、メキシコではよく失敗しました」という発言がある。
 3月16日 橿原大会で、長州と組み、カナディアン・ソト組に2対1で勝つ。この試合で右手小指を痛め、この後の試合で苦しむことになる。
 3月17日 大垣でカネックと闘う。カネックのラフ攻撃に初の流血。怒った藤波はカネックの覆面を破る。カネックのストレッチ技に苦しみながらも、ドラゴンロケットが炸裂!両者が死力を尽くして闘い、最後は藤波がリング内、カネックが場外(エプロン)でダウン。テン・カウントアウトという裁定で、「両者カウントアウト」となる。凱旋帰国以来、はやくも流血戦で、闘志あふるるファイトを全国のファンに披露した。 ●大垣大会観戦記より
          

  試合後のインタビューでは「血で目が見えない。カネックとは決着をつける。(その前に)もし、ニューヨークで負けたら一から出直しで、二度と日本には帰ってきません」と語る。

◆3月17日 岐阜・大垣市スポーツセンター
 ▼45分1本勝負
  △藤波(10分11秒・両者KO)カネック△

  この流血戦は、「藤波はラフには弱いのではないか」と疑問を持つファンにそれを払拭するべく良いファイトを見せた。それと同時にシリーズ中にも関わらず、ニューヨークで防衛線をやり、すぐ帰国してシリーズに合流し、最終戦の30日では、このカネックとの決着戦と、おおいに盛り上げていった。
3月18日  豊明でカナディアンと対戦。回転足折り固めで快勝。すぐに渡米。
3月20日  ニューヨークに飛び、ジプシーロドリゲスの挑戦を下す。WWWFジュニアタイトル3回目の防衛。さすがに体調は万全でなく、技の切れもいま一歩。この試合の放送で、藤波はサウスカロライナに「トランザム」という車を所有していることが紹介された。

#3月20日 ニューヨーク・マジソンスクエアガーデン
 WWWFジュニアヘビー級選手権試合・時間無制限1本勝負
  ○藤波(8分45秒・逆さエビ固め)ジプシー・ロドリゲス×
   ※決め技は「エビ固め」という記録が一般的だが、実際に近い記述をとった。
 藤波「今日は、日程がきつくて」
 3月22日 ニューヨークから帰国し、シリーズに合流。大津でコロフと対戦。まさに「太平洋を股にかける」チャンピオンを実践。
 3月24日  和歌山大会に出場。藤波は小鉄と組み、カナディアン・コロフ組と対戦。この日の試合については、ブログ「闘いのワンダーランド」に詳細が記述されています。こちらのリンクでご覧ください。 カネックが欠場してカードが変更され、凱旋以来の初タッグ中継です。(この項 2016.1.9追記)
 3月30日  蔵前で、タイトルマッチ挑戦者のカネックが「敵前逃亡」
   「本日、挑戦者カネックが、藤波選手の実力におそれをなし、敵前逃亡いたしました」
   新間本部長からの説明に、緊迫したリング上。マイクをもった藤波の第一声は「どうも!」。
   そして藤波の「すみません。タイトルは返上します」に2度驚く観客。対戦相手が、実力者イワン・コロフとなる。   
     
   コロフとの試合には上田が乱入し、コロフの足を攻撃。藤波はイワンコロフに飛龍原爆で勝つ。
   
   カネックはメキシコで3カ月の出場停止処分に。カネックは英語が出来ない上に、来日外人メンバーからも孤立、足の怪我もありナーバスになっていたという。ホテルで女性といたところ、他の外人選手から暴行を受けるなどの事件があり、さらに、試合当日に「髪の毛とマスク」をかけた試合だと聞かされ、ついに、逃亡したともいわれている。
   当日、会場の控え室に入り、仲間のロベルト・ソトが試合をしている間に姿を消したという(当日の実況による)

    ◆3月30日 東京・蔵前国技館
  ▼60分1本勝負
  ○藤波(2分45秒・飛龍原爆固め)イワン・コロフ×
    ※カネック敵前逃亡のためカード変更。ノンタイトル戦に。

カネックは藤波がメキシコ遠征時に対戦して認め、新日本に連れてきた選手。敵前逃亡による永久追放処分をさせないために、藤波は新日フロントに対して、土下座をして頼んだという。
          
パンフレットより       
  ●当日の実況による検証・その後(新しいファイルがひらきます)
          
  なお、突然の試合で飛龍原爆を決められ、首を負傷したコロフは、しばらく首を曲げたまま過ごさなければならなかったという後日談がある。      
 4月 8日  ロサンゼルスでエル・ゴリアスと対戦。
   30分を超える熱闘になるも、飛龍風車固めで勝ち、WWWFジュニアタイトル4回目の防衛に成功。この挑戦者は、どう見ても体重オーバーで、藤波が苦戦したのも仕方がない。
   
   ただ、このとき試合を見ていたチャボゲレロによると、「藤波は、レスリングのうまいゴリアスに大苦戦。随所にミスが目立ったし経験不足」と感じたという。
   猪木「藤波は、ホテルでも、わたし以上にサインを求められてましたよ」

#4月8日 ロサンゼルス・オリンピックオーデトリアム
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・60分1本勝負
  ○藤波(33分45秒・風車固め)グレート・エル・ゴリアス×  
 4月21日  蔵前で、第1回MSGシリーズ開幕。この日、藤波はトーナメント公式戦で、上田馬之助と対戦。大流血の末、反則勝ちを収める。
藤波は、ラフに弱いのでは?というファンの疑念を吹き飛ばす闘志を見せた。(なお、決勝戦は5月30日)


藤波の入場時のテーマ曲「ドラゴンスープレックスのテーマ」(演奏はJOE)が、このシリーズから定番となった。

このシリーズに参加の外人選手たち(上田も外人側)

パンフレットより(レイ・スチールを除く)
4月24日  名古屋でカルロス・コロセッティに勝ち、日本での初の防衛
   1本目に上田が乱入し、共闘して上田を退治。3本目は回転足折り固めで鮮やかな防衛。アルゼンチンの若者とのさわやかな両者の対決となった。このWWWFジュニアタイトル5回目の防衛戦が、はじめての国内での防衛戦であった。

 ◆4月24日 愛知・愛知県体育館
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・61分3本勝負
   藤波(2-1)カルロス・コロセッティ
  1.(12分39秒・両者リングアウト)
  3.○藤波(3分13秒・回転足折り固め)コロセッティ×
4月 藤波ファンクラブ「飛竜ドラゴン」(会長・岡野三津茂氏)が結成される。関西を拠点に会報を重視した活動を行う。
5月 4日 沖縄の奥武山で、トニーガレアと一騎打ち。正統派の試合中に上田が乱入。藤波は上田にドラゴンロケットを決める。試合は回転足折り固めを決めて快勝。

 ◆5月4日 沖縄・沖縄県立奥武山体育館
 ▼45分1本勝負
  ○藤波(7分11秒・回転足折り固め)トニー・ガレア×
 5月 9日  鹿児島県の国分市で、藤波は6人タッグに登場。タッグながらはじめてアンドレと対戦している。藤波のパートナーは猪木・長州。
5月11日 福岡でマーチン・ジョーンズと一騎討ち。イギリス流の正統派レスリングで互角の闘いも、ジョーンズのゴッチ流パイルドライバーでも決まらず、一気にアメリカ流のラフファイトも見せるが、藤波もドラゴンロケットで、場外の本部席の向こう側まで吹き飛ばし、サイドスープレックスから、風車固めで、なんと、ギブアップ勝ち。

 ◆5月11日 福岡・福岡市九電記念体育館
 ▼30分1本勝負
  ○藤波(10分33秒・風車固め)ジョーンズ×
5月18日 酒田で長州と初の一騎打ち。回転足折り固めで勝つ。
5月20日 秋田で猪木と初の一騎打ち。飛龍原爆をねらうが、逆に原爆固めに決められ敗れる。

      
   ※この試合は、テレビ放映されなかった。藤波はジュニアチャンピオンとして、売り出してしてゆくため、負けた試合はテレビに載せないという方針だった模様。ただ、幻のVTRが存在すると言われている(ぜひ、見たいものです)

◆5月20日 秋田・秋田県立体育館
 ▼MSG決勝リーグ 45分1本勝負
  ○猪木(11分43秒・原爆固め)藤波×
5月26日 高松で上田馬之助と対戦。試合開始前から積極的に攻め、ドラゴンロケットを決める。机の上に上田の身体がたたきつけられ、その上に藤波の身体が乗った。上田は凶器でつくも、2発目をかわして、横入り式エビ固め(スクールボーイ)を鮮やかに決め勝利。レフェリーは空中。
5月30日 大阪府立で長州と組み、バックランド・トニーガレア組と対戦。
  1対2で負ける。特に、1本目は、長州がいきなりバックランドの尾てい骨割りを食い、代わった藤波がバックランドの電光石火の首固めで、わずか34秒で取られた。実況では「回転首固め」と放送。2本目は藤波が「回転足折り固め」でガレアから取り、3本目は「ひとりで闘う」長州に、観客から「藤波に代われ」と声が飛んだ。結局、バックランドの人間風車で長州が敗れた。

 ◆5月30日 大阪・大阪府立体育会館
 ▼45分3本勝負
   ボブバックランド・ガレア(2-1)藤波・長州
  1.○バックランド(34秒・首固め)藤波×
  2.○藤波(10分40秒・回転足折り固め)ガレア×
  3.○バックランド(5分24秒・体固め)長州×

  この日のテレビ放送で、藤波のテーマ「ドラゴンスプレクス」(表記のまま) のレコードを100名にプレゼントと告知された。
  なお、この日の藤波はなぜか「スター・ウオーズ」のテーマで入場していた。メインはMSGシリーズ決勝戦で、アンドレと闘った猪木が優勝した。藤波はMSGシリーズでは第4位で、技能賞、敢闘賞を獲得した。
6月 1日 日本武道館でシリーズ最終戦。猪木がバックランドに勝つ。
7日には、福岡で猪木がモンスターマンに勝ち、坂口はジョニー・リーを撃破。
6月 9日 藤波は、ロサンゼルスでカルロス・マタを破りWWWFジュニアタイトル防衛。
    両者のすばやい動きに場内も大歓声。お互いの返し技も冴える。試合終盤にみせた藤波のバックドロップはマタの首が大きく曲がるほど強烈であった。マタがトップロープ越しに藤波を投げ飛ばして、反則勝ちとなった。

 #6月9日 ロサンゼルス・オリンピックオーデトリアム
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・60分1本勝負
  ○藤波(23分28秒・反則勝ち)カルロス・マタ× 

「アメリカのルールですけど、これでは、お客さんも納得がいかないでしょう」(藤波)
この試合については、いつも辛口のチャボゲレロも「マタもうまい選手だが、藤波は一歩も引かなかった」と賛辞をおくっている。
6月15日 藤波が帰国。国際プロレスを退団した剛竜馬からの挑戦を受けることを承諾(19日)
   なお、このころは、地方のテレビ局では、TBS系列が強く、TBS系で放映されていた「国際プロレス」の選手は知名度が高かった。このことについて、藤波「はい。ストロング小林さんとか、豊登さんとか。僕も、実際に大分では見に行きましたよ。国際プロレス。剛のことも、その存在は知ってました」
と語っている。
6月    別冊ゴング誌の企画で、ジャンボ鶴田と対談。(リンク・別枠で対談内容がひらきます)
             それぞれのサインにも注目です。
内容から
●アンドレは攻撃法がない、ドリーと2人がかりでもビクともしない(鶴田)
●大きい師匠の壁、でも、倒すなら相手が元気なうちに(藤波)
●馬場さん猪木さんが引退したら我々の世代の新しいプロレスが(鶴田)
6月23日  大宮でサマーファイトシリーズ開幕。藤波は初対決のチャボ・ゲレロと対戦。熱戦の後、両者リングアウト。
7月 2日 立川でペドロ・モラレスと対戦。 さすがに元WWWFヘビー級チャンピオンで、藤波に攻め込ませるも余裕があった。

◆7月2日 東京・立川競輪場
 ▼45分1本勝負
  ○ペドロ・モラレス(15分6秒・リングアウト)藤波×
7月17日 藤波に挑戦することが決まった剛竜馬がヒロマツダとともに記者会見。「必勝応援団」を結成したファンとの交流も行なった。
7月27日 武道館で剛竜馬に勝ち、WWWFジュニア防衛。7回目のこの防衛戦が、はじめての日本人を相手にした防衛戦となった。



  2か月にわたるヒロ・マツダの猛特訓を受け帰国した剛は、コンデションも良く、きびきびとした動きの良い試合となった。「GO 剛 GO!」「ど~ら~ごん!」と、双方の応援団も大いに盛り上がった。藤波のペースではあったが、途中で原爆固めを決められ、かろうじて藤波の足がロープにかかり救われた場面もあった。最後は、藤波の飛龍原爆狙いを剛が切り替えし、藤波がさらに原爆固めで切り返して決めた。
          

◆7月27日 東京・日本武道館
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・61分1本勝負
  ○藤波(13分52秒・原爆固め)剛竜馬×
試合後のインタビュー
  「正直言って、自信がありませんでした。でも、ベルトは僕の命と同じです。絶対に手放しません!」
なお、この日のメインの猪木は、バックランドへの挑戦であったが、引き分けでWWWFタイトルは奪取ならず。
7月29日 ●「藤波辰巳ファンのつどい」が開催された。27日の剛竜馬戦が「8ミリ」で公開された。また、ファンからのいろいろな質問に答えた。

  質問 ドラゴンロケットは、怖いことありませんか? また失敗した経験は?(女性)
  藤波 あまり良い気持ちではありませんね。やるたびに寿命が3年縮まります。(笑)メキシコではよく失敗しました。ロープに足を引っ掛けてリングの下に落ちるのですが、向こうはマットを敷いていないので、本当に痛いです。たとえうまくドラゴンロケットが決まっても、椅子の間に入ったり、頭を打ったり、大変ですよ。

  質問 「ジャンボ鶴田と対戦したら勝つ自信はありますか?」
  藤波 「勝つ自信は無いけど、負けない自信はあります。」(拍手)
  ※インタビューこの時のファンからの質問を、別枠がひらくこちらでリンク 
8月 4日  ロサンゼルスでアーマンド・ゲレロを破り8回目のWWWFジュニアタイトルを防衛。原爆固めでの勝ちであるが、一部記録には飛龍原爆固めとある(これは誤り)

 #8月4日 ロサンゼルス・オリンピックオーデトリアム
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・60分1本勝負
 ○藤波(24分32秒・原爆固め)アーマンド・ゲレロ×

   アーマンド・ゲレロ「藤波は若いのに、ベテランのようなうまさがある」
8月13日  メキシコで「鉄人」レイ・メンドーサに勝つ。WWWFジュニアタイトル9度目の防衛。ゴッチが藤波のセコンドにつく。
  35900人の観客の熱気がすごい。3本目にみせた藤波のドラゴンロケットは鮮烈。最後は鮮やかな回転足折り固めでピンフォール。
  タイトルを防衛したということ以上に、メキシコでの実力ナンバーワンの地位に到達したことになる。
 放送は、浜田が解説に着き、最後は、船橋アナが「実況しながらリングにあがり、インタビュー」をした。藤波にとって、これがはじめてのメキシコでの防衛戦であった。この試合が年間最高試合に選ばれて、このあと、メキシコでの待遇が良くなったという。
 なお、メキシコからのテレビ中継は、このときが初めてだという。   

 #8月13日 メキシコシティ・パラシオデデポルテス
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・60分3本勝負
   藤波(2-1)レイ・メンドーサ
  1.○藤波(8分5秒・エビ固め)メンドーサ×
  2.○メンドーサ(4分30秒・足固め)藤波×
  3.○藤波(5分25秒・回転足折り固め)メンドーサ×
       
  試合後の藤波 「セコンド(ゴッチ)が、気になって」(笑)
  藤波は、ハワイでトレーニングをして、帰国。 連日、猪木とのスパーリングをこなした。
8月25日 新潟でゴールデンファイトシリーズ開幕。この日、前田、原園、ジョージ高野がデビュー戦。
 藤波はジョニーマンテルとセミで対戦。動きの速い中、藤波にはどっしりとした貫録も漂う。メンドーサに勝って、自信をつけたという。余裕の展開で足を攻め、ラフに出たジョニーマンテルを回転エビで一蹴。このシリーズで、翌日は平田斉藤弘幸が飯山大会でデビュー。

  ※なお、このシリーズ、藤波は銀色のトランクスを着用したという情報がよせられたので紹介します。
 
(情報: 藤波が78年に銀のタイツ履いて、シンと闘った記憶はあるのですが・・・。BI砲さんより)
 
藤波はこの時期、「銀色」のトランクスを着用していた。その時期が、明らかではないのですが、探してみますと、「ミック博士の昭和プロレス」ホームページの「コスチュームの紹介」ページに 銀色トランクス着用の写真がありました。(リンク、別枠で開きます) そのページの、一番下に、「違和感あり」の藤波シルバートランクス写真があります。
8月27日 ベースボールマガジン社の「デラックス・プロレス」誌が創刊された。創刊第1号のフロント・グラビアページに、速報として、8月13日のメキシコでのメンドーサ戦が大きく報道された。
9月19日 大阪府立で藤波は木戸と組み、北米タッグ王者に対して、大暴れ。
 ジュニアチャンピオンとはいえジュニアの藤波と木戸が、北米タッグの坂口とストロング小林に対して、若さで撹乱し、起こった小林から藤波が1本取ってしまう。大阪のファンをおおいに喜ばせた。
  
 ◆9月19日 大阪・大阪府立体育会館
 ▼45分3本勝負タッグ
  坂口・小林(2-1)藤波・木戸
  1.○藤波(12分15秒・逆さ押さえ込み)小林×
  2.○小林(5分2秒・逆エビ固め)木戸×
  3.○坂口(2分24秒・体固め)木戸×

藤波は木戸とともに、北米タッグ王者を相手に大暴れ! 二人がかりで坂口を踏みつける。向こうであわてるストロング小林

 なお、この日のメインは、仲間割れしたタイガー・シンと上田の一騎打ちとなり、大変な前評判となった。通常のレフェリーではとてもさばくことができないと、猪木がレフェリーをつとめた。大変強いレフェリング(ブレークしないと鉄拳制裁)をしていたが、最後には、シンが上田と共闘し猪木を襲う。藤波がリングに乱入して、シンに対してドロップキックを見舞い、猪木を助けた。

 なお、このころ、藤波は、「サイン」を大人用と中学生以下用の2種類用意していると発言。
10月 5日 全日本プロレスのジャンボ鶴田が新日道場に現れ、藤波と2時間合同練習をする。全日の道場が改築中という理由ではあったが、お互いの交流を深めた。

  このときの東京スポーツ記事をアップしているブログがありました。これによると、鶴田が、藤波のコシティの練習におどろき、自分も試してみたり、鶴田からスパーリングを申し出て、二人が絡んでみたり
                            
藤波が鶴田にアキレスけん固めをしかけている貴重な写真もあり!今となっては、大変貴重なレポートです。。
10月 6日 新潟で闘魂シリーズ開幕。藤波は初来日のトニー・ロコに苦戦して、勝つ。この後、ロコは若い藤波の良き対戦相手になる。 この日、藤波は新しい真っ赤なガウンで入場した。

このシリーズから、藤波の付け人が斉藤弘幸(ヒロ斎藤)に変わった(それまでは小林邦明) この斉藤が「藤波さんに、いじめられています」と報道陣に泣きついたとコラム記事になっているが、藤波と斎藤は長く親交を深めるきっかけとなった。
10月20日 寝屋川で、チャボゲレロとの対決。予想以上の苦戦に。特に、2本目に藤波のドラゴンロケット自爆で、大流血になった。気力を振り絞っての3本目に「血染めのコブラツイスト」を決め、逆転勝利。WWWFジュニアタイトル10回目の防衛。ベルトが記念に勝者藤波に贈呈された。

  ジュニアの闘いがメインを飾ったのは新日初の快挙であり、試合を終えた猪木が解説に着き、実況生中継された。2本目に勝負に出たドラゴンロケットをかわされ、観客席に頭から突っ込んで流血した藤波は、勢いに乗るチャボのヒップアタックをドロップキックで受け、人間風車からなんとかフォールを取った。しかし、コーナーに倒れこんだままの藤波に場内騒然。
 セコンドの永源「こりゃあ、無理だ!」の声が響く。
 このとき、中継のアナが「この大流血では藤波は闘えません」と放送しながら、裏では「絶対に続行させろ」と怒鳴っていたことは有名。3本目を流血のコブラで勝利した藤波は、病院へ直行。額を20針も縫ったという。

  チャボゲレロ「ドクターストップでもおかしくないほど藤波は重傷だった。それでも最後まで闘ったのは、感心した」

 なお、疲れ切ってホテルに帰った藤波を、沼谷かおりさんから贈られた「果物篭」が待っていたというエピソードが語られている。

       ( 勝負を決めた「血染めのコブラツイスト」

 
※2012年に発刊された専門誌の「藤波特集」では、「この闘いの流血が、藤波の初流血」などと書かれているが、これは誤り。すでに3月17日の大垣での有名なカネック戦での流血があり、4月の上田との大流血があり、当時、ファンの間では藤波の大流血と、それに負けない藤波の悲壮感すら漂うファイトは有名でした。が、ベテラン記者をもってしてもそのような誤解を与えてしまうほど、この試合の流血のインパクトは強かったようです。(cacao86

◆10月20日 大阪・寝屋川市民体育館
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・61分3本勝負
  藤波(2-1)チャボ・ゲレロ
  1.○ゲレロ(12分54秒・回転脚頭絞め固め)藤波×
  2.○藤波(4分43秒・体固め)ゲレロ×
  3.○藤波(3分30秒・あばら折り)ゲレロ×
10月25日 堺市金岡体育館で、エクスキュースナー(ウイリーギャレット=インフェルノス2号)を破る。この日はじめて沼谷かおりさんが控え室を訪ねているという。

  後日のテレビ番組では「かおりさんがトイレにいったところ、藤波もトイレから出てきて挨拶。
           かおり「先日、果物を届けた者です」
           藤波「よかったら、試合のあと、食事でもしませんか」

  また、別の機会には、かおりさんの弟が、藤波ファンで、お姉さんを藤波に近づけるため、後押しをした(ほんとに押した。「おっぺした」)とも。 諸説入り混じる(笑)。


  デート時、藤波が2つ頼んだので「あたしの分も注文してくれたかとおもったら、(藤波が)2つとも自分で食べた」というエピソードなど、多くの、ほほえましいエピソードが、後日、かおりさんから語られ続けている。
         
  初めてのデートで見た映画は「野生の証明」といわれている。この映画は高倉健と薬師丸ひろ子の角川映画で、
キャッチコピーが「ネバー・ギブアップ!

 
   角川文庫に挿入された「しおり」
より
11月 1日 名古屋でシリーズ最終戦。猪木がクリス・マルコフを卍固めで破り、NWFタイトルを防衛。藤波は長州と組んで、クラップ・トニーロコ組と対戦。外人側に二人係で攻められ苦戦し、クラップのブレーンクローも藤波に決まる。コーナートップからの攻撃をかわし、藤波がロコに原爆固めを決めて快勝した。
11月 7日 この日より猪木がヨーロッパ遠征(29日まで全20戦に登場)藤原を同行させる。11月25日に猪木はローランボックにシュツットガルトで敗れた。 そのほかは快勝をつづけ「キラー・イノキ」と恐れられた。
   後日「パーティーには藤波を、アブナイとこには藤原を」などといわれるはじまりか。
11月17日 後楽園で、プレ日本選手権シリーズ開幕。このシリーズは日本人だけ参加のシリーズ(12月14日のみバックランド特別参加)   その緒戦で藤波はサンダー杉山を破る。杉山は下駄を履いたまま藤波を蹴った。
11月18日 プレ日本選手権飯能大会で、メインの藤波はマサ斉藤を破る。
11月20日 この日発売の「少年ジャンプ」48号(11月27日号)に藤波辰巳のブロマイドが綴じ込まれた。裏には藤波の紹介があり 「藤波は、包丁人・味平なのだ」と、当時の人気漫画に託して紹介が書かれていた。
11月24日 プレ日本選手権勝田大会で、メインの藤波はストロング小林にリングアウト勝ち。
  藤波は、この日、ゴング誌の「ピラニア・インタビュー」を受けた。その中で「銀色のトランクス」着用の評判が良くないことに触れている。          
11月30日 広島で藤波は剛竜馬とWWWFジュニア戦。飛龍原爆で勝ち、11回目の防衛。この日は飛龍原爆が決まると、レフェリーはカウントを取らずにゴングを要請した。なお、藤波は、試合後控え室で原因不明の熱で倒れる。その頃、藤波の父が逝去されていたという。

◆11月30日 広島・広島県立体育館
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権61分1本勝負
  ○藤波(17分56秒・飛龍原爆固め)剛×
12月 3日 藤波は、奄美大島で父の逝去の知らせを受ける。その日の坂口戦の後、山本小鉄に伴われて実家へ。次の興業があるため、実家には数時間しかいられなかった。藤波の父は、藤波のデビューの頃からの小さな新聞記事をスクラップしていたという。
12月16日 プレ日本選手権シリーズの最終戦、蔵前で猪木がヒロマツダに勝ち優勝。藤波はマサ斉藤と両者リングアウト。藤波は猪木とともに渡米。           
12月発売 雑誌「マンスリー・スポーツ」1979年1月号に、「プロレスラーを科学する・藤波辰巳と一般人の体力比較」という記事が掲載された。この号は「1978年スポーツ界回想」と題して、八木たまみ、北の湖、具志堅用高、アリ、ナンシー・ロペス、ボルグ、牛島、と各ジャンルの代表的な著名人が名を連ねていたが、藤波は猪木とともに特集に登場した。
12月18日 ニューヨークMSGで、エストラーダを破りWWWFジュニアタイトル防衛。 
「一本勝負で、2回フォール勝ち」という記録(?)を作る。

試合前は「この10か月で、エストラーダがどんなに変わったか心配」と話していた藤波だったが、試合の方は、エストラーダに覇気がなく、小さな反則で追い込むくらいで、最後は藤波が逆さ押さえこみで完全フォールした後、さらに、人間風車を決めて、抑え込んだ。思わず、レフェリーもスリーカウントを入れて、藤波の手を挙げて、ファンの気持ちに応えた。
試合後の通路でのインタビューでは「藤波人気も定着しましたね」といわれて、はにかむ表情が見られた。
 なお、この日、マジソンに3年ぶりに登場の猪木は、WWF格闘技チャンピオンとして、テキサス・レッドに勝つ。

 ♯12月18日 ニューヨーク・マジソンスクエアガーデン
 ▼WWWFジュニアヘビー級選手権・60分1本勝負
   ○藤波(10分51秒・逆さ押さえ込み)エストラーダ×
12月26日 後楽園ホールで「第2回ドラゴン・フェスティバル」が開催され、1000人のファンに囲まれる。会場には阿修羅原や剛竜馬も駆けつける。

  この年末に山本小鉄の家を訪ねた藤波は、深夜、「意中の人がいるなら、今すぐ電話しろ!」と命令され、沼谷かおりさんに電話をして、結婚を申し込むことに。 「結婚してください。3年待って」 (事実、3年後の1981年末に結婚することになる。もちろんこのことは、ファンにもマスコミにも公表されず)
 (この項は、1997年ごろの山本小鉄の対談番組での発言による)
    ※ このころの体つきについて

  ● 「ジュニアの時の体つきはね、ああなっちゃうの。 カールゴッチといたらああいうふうになっちゃうんですよ。身体に脂肪をつけるような練習はしないから。」(1996年・藤波)
    ※ この年について振り返って、

  ● 「はやく、夜が明けないかな、早く明日の試合が来ないかな、と。とにかく、身体はつかれていたんでしょうけれども、若さもあって、明日が楽しみで寝られなかったくらい。そのくらい毎日が充実してました」(2012年・(藤波)
  
猪木さんには、よく殴られた。

僕が凱旋帰国して、イケイケの頃よ、試合前のリングでみんなで合同練習して、
僕はちょっと離れたところで、自分なりの練習をしてたんだけど、チンタラチンタラ 
練習してたんだよね、みんな。 

そこに、猪木さんが入ってきてね、顔色が変わった。

猪木さんも、いちばん血の気の多いころだから、「おい!藤波、来い!」
と呼ばれてさ、行くと、

腕立て伏せの練習に使う木の板というか棒だよね、それで頭を「ガーン」
と殴られてね、まだその時の傷跡はありますよ、5センチくらい頭がぱっくり割れて
流血。

練習が終わってから、サイン会をやったんだけれど、頭に包帯よ。
ファンもビックリするじゃない(笑)

 試合になったら包帯は取ってやったけど、やっぱり流血するから
こんどは、相手の外人選手もビックリしてね(笑) 
                     
 昔は猪木さんも厳しくて、僕がいちばん殴られたんじゃないかな? (笑)  
     
週刊ファイト  2002.5.9号 インタビュー

 

●藤波インタビューより 「怖かったなあ」


「実は、僕はいまでも、リングにあがるたびに、恐怖感を持つんです。
おそらくこの気持ちは、僕がレスラーでいる限り、消えないでしょうね」


「試合だけじゃない。練習でも同じです。自分よりキャリアの浅い
若い人たちと組み合うときでも、
僕の心の中には、相手の人への恐怖心があるんです」


「実は、ほんとのこといえば、このころ俺はジュニアヘビー級じゃなかった
もっと、軽かったんです。
ジュニアヘビー級は90キロからだけど、僕は88キロでした。」


「怖かったですよ。この身体で本当にプロレス界でやっていけるのかな
ってね。ホントに怖かった」


あのころは、ほんと、怖かったなあ」 (藤波)


1986年、6月。「ジュニアヘビー級時代を振り返って」。
     「週刊プロレス」(1986.6.17号)インタビュー。





★柴田惣一記者のブログより  1978年ごろの藤波辰巳エピソード★

 (藤波には「おっかけ」が何人もいた)

 何日も連続で、見かければ顔見知りになる。

 藤波は「あれ、学校は?」「寒いね。気を付けないと風邪ひくよ」などと
気さくに声をかけていた。

 中には地方会場にまで駆けつける熱心なファンもいたが、全戦を制覇することはさすがに難しい。

 今のように携帯電話もメールもネットもない時代、藤波は忘れられない応援メッセージを
受け取ったことがあるという。

 会場控室でベルト防衛戦へ集中力を高めていた藤波に電報が届いた。
マモレ』とあった。

 後々、藤波は知ったそうだ。地方会場まで応援に行けない何人かのファンが集まり
「そうだ。電報を打とう!」
  当時の電報はカタカナのみで総文字数により料金が決まり、濁音や半濁音も
一文字と換算された。
 「ベルトを守り抜いて欲しい」という思いを、いかに短く的確に伝えるのか。

 短く短く・・・散々削って「ガンバッテ」という7文字。
さらに頭をひねった結果が「マモレ」だった。
 これなら3文字だった。

 何事かと急いで空けた電報に「マモレ」の3文字。
「ベルトを守れ」という意味だとピンと来た藤波。
「みんな学生でお金がないのに、電報打ってくれたんだよ。嬉しかったね」と振り返る。
 もちろん防衛に成功した。

           2014年3月28日  柴田惣一

 


 


   資料 ★藤波は日本プロレス界の宝だ!★


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