▼藤波の事件簿▼ あわや殺人!?


これはテレビの生中継中におきた事件だ。

    (ここにテレビ画面の画像をイレル)

時は、昭和55年(1980年)3月20日。場所は津山市の総合体育館。

当時WWFジュニアチャンピオンだった藤波は長州と組み、対戦相手の外人組は
アレンとアーマンド・ゲレロ。

当時としてはよくある45分3本勝負。

1本目の20分過ぎ、藤波はゲレロをフルネルソンに捕らえ、すぐさま、得意技

「ドラゴンスープレックス」が火を噴いた。

その瞬間、レフェリーはカウントをとらず、すぐにゴングを要請。

カウントもとらないのは、藤波の飛龍原爆のときにはよく見られた風景だ。

が、その後が大変だった。

ゲレロは、起きあがれないどころか、痙攣をおこしている。

「フルネルソンまでは覚えている。その後の記憶がない。でも、その恐怖感が

いつも蘇り、それ以来、本格的なルチャが出来なくなった」ゲレロの話。

解説席にいた山本小鉄が、あわててリングに入り、口の中に手をいれ、

まるまって窒息寸前のゲレロの舌をのばした。

小鉄は、窒息死寸前だったゲレロの命の恩人となった。

また試合中の事故とはいえ、藤波もあやうく「殺人」を犯してしまう寸前
だったのだ。

そんな事件のため、試合はそこで打ち切り。2本目は「外人組の試合放棄」と
記録にはある。しかし、そんな些細なことは、どうでもいい。

藤波の「飛龍原爆固め」はこの試合を最後に「封印」された。

WWFからの司令(売り物の外人レスラーに怪我をさせるような技の禁止要請)
もあったらだろうが、それ以前に、藤波自身、危険極まりない「必殺技」を使う
気にはならなかっただろう。

先日「無我」の実況中継(サムライチャンネル)をみていたら、実況のアナウン
サーがゲストの藤波に「藤波さんの飛龍原爆固めを最近見ていませんね」と語り
かけた。藤波は「そうですねえ」と受け流していた。
私は、ああこの人も、飛龍原爆の幻を見ているな、と思った。なぜなら、

たとえば、猪木の卍固め、長州のサソリ固めのように代表的な技ではあるのだが、

実は、藤波の飛龍原爆固めは、数えるほどしか使われてはいないのだ。

藤波の「飛龍原爆固め」は、本当の必殺技だった。


飛龍原爆がフィニッシュホールドになった試合全記録

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