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ドラゴン大年表

 ドラゴン大年表  (めもめも大年表)

  平成19年(2007年) 無我のシリーズが開催。とともに、情報サイトがたくさん開設されまして、

                  この「ドラゴン大年表」はいったん、おしまいに
                  「めもめも」状態で記録をしてゆきます。題して ゲンアジ「めもめも」大年表。

ゲンナジめも
      ※このページは、なるべくブラウザの左右を広げてご覧下さい。


●平成19年(2007年)  53歳

ゲンナジめも

 ・ 1月 5日  藤波は、無我の後藤・吉江らと明治神宮に初詣。
           その後、「台湾、香港、韓国のプロモーターから話がある。既に西村を派遣している」と
           海外経験豊富な西村を交渉役に任命したことを明かした。(本当なの???)


 ・ 1月 9日  この日の東京スポーツに、西村が藤波からの「社長指名を拒否」と報じられた。西村を社長
           にするかわり、インディー拒絶の態度を和らげて欲しいという藤波の懐柔策が失敗したと
           思われる。

           藤波は、週刊プロレスでも「無我所属選手のアルバイト活動を奨励。アルバイトで生活も潤い
              人生経験も豊かになる。選手は無我の興行を優先してくれるなら、他団体への参戦も
              積極的にすすめる」と展開。
            さらに、「レフェリーの北沢幹之氏の工務店が忙しい時、たまに無我の選手も手伝っている」
            とも。 「アルバイトをすることでその職場、お客からファンが増えることもある」

           週プロの記者が 「僕も北沢さんから声を掛けられれば手伝いたい」と笑顔で微笑むと、
           藤波「それは足手まといになるのでやめて下さい」と突っ込みが入るドラゴンはガチ。
          
                       ※この項「多重ロマンチック」2007年1月10日より



 ・ 1月13日  東京・原宿のイタリアンレストラン「TO THE HERBS」にて、無我の新年会が行われた。
           なお、この会に関連して「闘う、無我婦人会」という紹介記事が、ニッカンスポーツに
           掲載された。

 ・ 1月19日  札幌テイセンホールで無我「ファースト・ジャーニー」シリーズが開幕。
 ・ 1月28日  後楽園で、シリーズ最終戦(第4戦)。女子のメキシコCMLL対決で始まり、竹村・正田の
           タッグ。雁之助のテクニシャンぶりに驚きながらも、たんたんと進み、
           藤波は浜田とシングルマッチ。久しぶりの対戦は、意外に短時間で勝負がついた。
           試合開始同時にドロップキックで主導権を握った浜田だが、藤波はドラゴンスクリュー3連発で
           逆転。浜田は場外へ飛ぶも、最後まで藤波のペースで、飛龍裸絞めで勝つ。
           試合後、藤波は、汗をかいたままサイン会に入り、ファンを喜ばせた。

           藤波「もうすこし、試合を楽しみたかったけど、試合に集中できるよう、無我をやってゆきたい」
           浜田「組み合った瞬間。こりゃ、だめだと思った。藤波さんが、こんなに、大きくなっているとは」

           なお、メインの西村と川田の初対決は引き分けとなった。

 ・ 1月30日  藤波夫妻が、大阪・和田萬(菅原町)に食事に。 急遽写真撮影会の様相に。
           店員さんによると「いつもニコニコされている藤波さんは本当にお人好し♪
           大阪のおばちゃんの厚かましい攻撃にも、イヤな顔ひとつも見せないところは
           さすがはプロ」とのこと。


 ・ 2月23日  船橋で無我「M・スピリット」シリーズが開幕(全7戦)

 ・ 2月24日  大阪なんばの「LABI1 NAMBA」(ヤマダ電機)で、「試合直前緊急特別イベント」が開かれ、
           藤波のほか、西村、吉江、竹村と、進行の田中リングアナが参加。
            トークショーが主で写真撮影可、抽選会を含め約1時間で、最後には握手会ももよおして
           観客を喜ばせた。 ファンのブログより(別枠がひらきます)


 ・ 3月 6日  カナダ・カルガリーでバッドニュースアレン選手が死去。
          藤波「外国人というより、所属選手のような親しみがあった。巡業で泊まる宿も
              日本人と一緒。ジョークも言わず、まじめだった」

 ・ 3月 7日  日刊スポーツで、藤波の記事「プロレスの証言者・藤波辰爾」が連載された。
           若手時代から「無我ワールド・プロレスリング」までの歴史がコンパクトに掲載された。
           (記事は来田岳彦による全13回・3月21日掲載まで)

 ・ 3月14日  週刊ゴング誌が、この日発売の1168号を持って休刊(実質、廃刊)すること
          になった。
          藤波は「ジュニアのベルトを取ったときの感激をいち早く伝えてくれた感激は忘れない」と
          メッセージを送った。

 ・ 3月24日  東京の西新橋の「書」展に藤波が作品を出展。藤波がエジプトで書いた「砂」など
          の作品を展示。

           次期シリーズに来日するチャボゲレロについて
          藤波は「ジュニアの歴史の中で、チャボ・ゲレロという選手は消せない」と昔を懐かしみ、
          ドラゴンロケットについて「ここ5年から10年は使ってない」と話す。
           今回は「飛べるかなぁ」と言いながらも封印を解く構え、と報道された。

 ・ 3月26日  この日のデイリースポーツ紙に、「藤波、5月に通算3500試合達成」として記事
           が掲載された。
              (記事全文) 無我の5月シリーズで“ドラゴン”がまた一つ偉業を達成する。無我の藤波が25日、
                         ファンとの交流会で、現在までに出場した国内試合数が3493試合であることを明
                         かした。4試合の4月シリーズを経て、5月に3500試合出場を達成する見込み。
                         藤波は「そんなに戦ったのかという感じ。自分では気づかなかったよ」と驚いていた。
                         Tシャツなど記念グッズも販売する予定だ。

 ・ 4月 2日  無我ワールド・プロレスリングのシリーズ「M−STAGE」が秋田の大館で開幕。
          チャボゲレロが参戦。
          なお、この日より、藤波夫人伽織さんのブログ「キッチンは伽織に訊け!」が開始
          され、藤波夫妻の青山でのお花見写真の掲載から日記が始まった。
          もちろん夫婦だけに藤波(辰巳)さんの話題も豊富。
          また、後藤達俊選手のブログも開始され、田中リングアナのブログとともに、「無我」
          の話題満載のファンにとっては嬉しいサイト開設であった。
          

 ・ 4月 4日  この日の東京スポーツに、リハビリを続ける上田馬之助の手記が掲載された。
          もちろん藤波の名前もあがっているが、近年まれに見る名文・内容なので
          記録する意味を込めて、掲載します。

猪木さんがアリ戦でおった多額の借金(主にアリのファイトマネー)を新日本プロレスが一丸となって、長年にわたり返済していった。
 中でも坂口征二、藤波辰爾の2人の努力というか、縁の下の力ははたから見ても頭が下がった。2人は逃げ出そうと思えば、よそにも行けたはずだ。でも、2人は歯を食いしばって頑張ったと思う。猪木さんも十分知ってると思うが、2人に対する感謝は忘れないでほしい。(中略)猪木さんは、支えてくれた人たちに対する恩義をもっと大切にして欲しい。
 私は事故に遭って、気付かせてもらった。(中略)、何一つ1人では出来ない。もちろん、女房だけではない、いろんな人にお世話になって生きている。だから、毎日が感謝、感謝で生きている。今の世の中、「感謝」という2文字をおろそかにしているのではないか。人間は1人では生きていけない。どんな人でも必ず誰かの世話になっている。そのことを感謝しながら生きていくと、人生は素晴らしいと感じるはずだ。(4月4日付け東京スポーツ)


 ・ 4月 4日  青森大会で「チャボゲレロ日本引退シリーズ」が開幕。この日、藤波はチャボゲレロと組み、西村・
           倉島と対戦。ゲレロが原爆固めで倉島から勝利。パンフレットにも、チャボゲレロの「ソンブレロ」姿の写真が
           大きく掲載され、日本での引退を特集。

 ・ 4月 7日  清水大会で、藤波はチャボゲレロと組み、西村・竹村と対戦。ゲレロが原爆固めで竹村を決め勝利。

 ・ 4月11日  後楽園大会。藤波はチャボ・ゲレロと闘う。藤波が逆さ押さえ込みで勝利。
           これがチャボ・ゲレロの日本での引退試合であった。クリックで拡大


 ・ 4月15日  この日、NHKで藤波の出演した番組「食彩浪漫」が放映される。藤波の母・トヨ子さんの得意料理
           だんご汁を、藤波自身が母親と共に料理し、お袋の味について語る内容であった。

            藤波「中学校への近道が、この川を渡ってゆく方法なんです。見ていた人がね、「お、また、
                藤波のバカが渡ってゆくぞ、って」
                      クリックで拡大
            藤波のおかあさん 「よかろう!」 (だんご汁の調理法を伝授しながら。)
  


 ・ 5月15日  NHKの昼のテレビ番組「ふるさと1番」に生出演。岐阜からの中継で、自らのデビューの地であることや、
          鵜飼の場で示されたチャップリンの写真に 「フレッド、ブラッシー?」 と天然で語るなど、ほのぼのした放送であった。

 ・ 5月16日  大阪府立で「藤波3500試合達成シリーズ」開幕。この日藤波はスペル・デルフィンと一騎打ち。

 ・ 5月20日  岡山で、国内3500試合を達成。藤波は西村に2対1で勝利した。3本目の卍固めは圧巻。


 。 6月     無我が嵐(高木功)をシリーズに同行させ、試合にも出場させるという意向に対し、ファンからコメントが
           続出。いわゆる「炎上」し、17日に藤波の「ひと事! 予想通りの反応がでた」という記事を最後に
           23日には、事実上ブログが休止(閉鎖)された。 執行猶予中の嵐を帯同することへの批判や、
           それぞれのファンの意見が百出し、収拾がつかなくなったためと思われる。
           「団体としては、たいしたメリットにもならない」「出場許可はおかしい」「誰かに頼まれたからだろう」と
           多くの否定的意見が寄せられ、炎上。西村のブログも同様。
           (なお、この件についての詳細は割愛)


 。 6月21日  後楽園で新シリーズ(「M−TIME」)が開幕。藤波はTAKAみちのくと対戦。飛龍裸絞めで勝利。
           なお、懸案の嵐は、第0試合という形で西村と対戦し、敗れる。

 ・ 6月22日  TBSラジオの「金曜JUNK 加藤浩次の吠え魂」に出演。プロレスファンの加藤のいろいろな質問に
           軽快に答えていった。リンク(別枠ひらきます)(約48分) 
           「大原麗子は姫路城!」と名言。さらには思い出の試合や奥さんのことも緊張して答えながら、
           難しい人生相談にも真摯に答えた。そして、一曲歌えといわれ、三橋美智也の「古城」を熱唱。
           ※「(女性との)あの時は、(相手の女性の)めがねは強引にはずします」なんて、まあ、聴いてて楽しいが、
           そこまで答えなくてもいいのになあという感じもします。でも、ますますファンになりました!

           藤波  「撮影でドラゴンロケットを見せてほしいといわれも、あぶなくって、できませんよ〜!(笑)
                 水のないプールに飛び込んでいくみたいなもんです。」

                「おまえは平田だろ〜を言った後、あ、まずかったなあーと(笑)」

                「(加藤浩次の奥さんが「かおり」というのを聞いて) いいなまえですねえ。(笑)
                「ええ、愛して・・・、、普通です。 あらためて、女房のことをしゃべると、照れますね〜」
                「いまだに、はずかしくてね、「かおり」って呼べないんですよ。 「おい」とか「ねえとか」
                                                         <照れ照れ>

                (ニートについては?)「ダメ! 親のすねをかじってゆくわけ?」ときっぱり。

                (プロレスとは?) 「僕の、人生の、勉強の場です」
              


 ・ 6月30日  米沢大会で、高山が参戦。藤波と組み、西村・長井組と対戦。高山が原爆固めで西村を粉砕して
           藤波組の勝利。この日、嵐は高木功として試合に登場。

 ・ 7月 1日  新潟フェイス大会で、藤波は2試合に登場。第一試合で、征矢と対戦。「36年生 対 1年生」と
           銘打った対戦で、じっくりと鍛えて、貫録勝ち。「無我のテーマ」で入退場。
           長井が米沢の高山戦で負傷して欠場し、急遽、ヒロ斎藤が出場、嵐(高木)と一騎打ち。斎藤は
           高木の重量級の攻めを耐え向き、最後は首固めで勝利した。

           早くから後藤がロビーに出て、ファンへのサインを笑顔でサービス。西村は途中から顔を見せるも
           ファンからのサインの求めには、女性スタッフと話しながら、手だけでこなす。ちょっと不愛想。

           この日2試合目の藤波はメインで吉江と組み、西村・後藤組と対戦。後藤の椅子攻撃に観客が驚き、

            観客「ああれ、腰かけでたたいてるぞ。悪いことするんだなあ」

           後藤は、場外乱闘で吉江を痛めつけて、リングにあげ、最後は必殺のバックドロップで吉江を撃破。
           藤波組は、2本目、3本目を吉江のコーナーからのプレスで連勝し、藤波組の勝利。
           なお、2度めの登場の藤波は「ドラゴンスープレックスのテーマ」で入場。西村とのからみは最初だけで、
           試合時間のほとんどは、吉江がやられたり攻撃したりで、がんばった印象。
            ※「藤波は、ウルトラマンになった」(3分間、というのはおおげさだが、要所要所に登場の意味です)。

           最後に吉江のマイクアピール。川田との対戦を目指して西村との対戦を訴えるも、流れのわからない
           観客はほとんど「???」だったが、最後の「ありがとうございましたあ」に暖かい歓声が。

           なお、全選手のリング上での記念撮影に嵐(高木)は加わらず。事情を知らない観客からは、
           「あの人は、どうして上がらないの?」の声も。

           無我名物のリング上のにこやかな選手たちの撮影時間には、田中リングアナから「新潟の皆さん、
           どうぞ、ケータイでもいいですから、撮影して、仲間に見せて、プロレスを見たと宣伝してください」
           と呼びかけがあり、大人しい新潟の観客も嬉しそうに撮影した。

           
           試合後の、グッズ売り場にて、
           スポーツタオルを買おうとした観客に、「あ、あれでいいかしら?」とかおりさん。
           藤波の肩に掛けてあった汗まみれのタオルを受取って、お客さん感激。

           こどもを抱っこしての写真撮影に応じた藤波さん。テーブル越しに親に子供をかえす時に
           「はい。ドラゴンロケット〜〜」(笑)
           びゅ〜んと子供がかえっていきました。


           

 ・ 7月29日  大阪でサマーフェスタ。藤波はデルフィンと組み、浜田・ゼウス組と対戦し勝利。メインでは吉江が
           西村を、ダイビングプレスで潰し、カナディアンバックブリーカーで粉砕して川田との対戦をアピール。

 ・ 8月11日  東京ドームホテルにて、夏休みファミリープロレスを開催。親と子のプロレス教室や、
           食事会のあと、試合では藤波は高山と組んで、長井・吉江組を撃破。

 ・ 9月 1日  千葉・幕張メッセ国際展示場で蝶野がプロデュースする「蝶野王国2007in幕張」が開催され
           無我のプロレスも披露された。様々な出店が出ている横に設置されたプロレス会場ブースで、
           藤波・西村組と吉江・長井組のタッグが行われた。

           この試合の開始前に行われた蝶野・藤波と林リングドクターのトークショーや、また、新日本プロレス
           の試合もあったが、中でも、異彩を放っていたのが、後藤と嵐(高木)の試合。場外乱闘で自動販売機に
           激突させたり、鍛えなおす意味なのか、後藤の椅子攻撃が尋常でなかった。


 ・ 9月 9日  藤波はNOAH(ノア)に初参戦。日本武道館で、西村と組み、三沢・潮崎組と対戦。藤波組が勝つ。
           藤波と三沢は初対戦。三沢のエルボー、藤波の張り手も飛び出す展開に、三沢が藤波のフェイスロック
           藤波が三沢に飛龍裸絞め、いずれもカットが入り、西村の4の字で裏がえした三沢の背中に、藤波の
           コーナーからの膝爆弾が決まる。三沢が場外で藤波を痛めつけフェイスロックまで決めるが、西村も
           がんばり、藤波のドラゴンスクリュー。痛めた潮崎の足を攻め、執拗な足攻撃から、西村の足4の字固め。
           カットに入る三沢に藤波が飛龍裸絞め。ついに西村が潮崎から勝利。
           なお、この他団体での試合が藤波と西村の最後のタッグとなった。


 ・ 9月25日  無我ワールド・福岡大会で、藤波は征矢と組み、ヒロ斎藤・高木組と対戦。ヒロ斎藤の
           セントーンが征矢を襲った。なお、川田との一騎打ちを闘った吉江は敗れ、西村は毒霧
           を吐いたTAJIRIに勝利した。


 ・10月18日  無我ワールド後楽園大会。藤波は高木と組んでヒロ斎藤・後藤組と対戦し、高木がヒロに勝つ。
           この試合で後藤は高木に対して執拗な椅子攻撃。ヒロはそれを拒絶するような闘いぶりだった。

           ゼロワンや登竜門の選手も参加したいい大会であったが、高岩と対戦した西村がこのあと全日本
           プロレスの会場に登場した。西村は無我のファンサービスとして大切な恒例の「リング上での記念撮影」
           にも無断で参加せず。ファンを置いてきぼりにした形。藤波に「何か思うところでもあるのか」と困惑させた。

           ※西村の退団について、ファンとしての良識ある見解がネット上にありましたのでリンク

             多くのファンには「なんであろうと、世話になった人にひとことも言わずに、出て行った」ことも
             問題視された。(※編者注 ここは藤波さんのファンのページなので、ま、あえて、これ以上書きません。)
             

 ・10月21日 藤波は、全日本への移籍に関して「淋しい気持ちでいっぱい」とコメント。

         「無我=西村のイメージを崩せなかったことは遺憾。無我はヒロ斎藤や吉江選手のたまもの」
         「征矢選手には自分の選んだ道をがんばって、良識ある社会人としても成長を願う」
                                       (以上「無我」ホームページより、大意)
             このあたり詳しいサイト(カクトウログ)にリンク

          武藤は、「こういうのを利用するってのを、藤波さんは考えないかなあ」
          ファンは、こういう「リング上で決着」というのを、もはや望まない。このたびは特に。
          とにかく「関係しないでほしい」「絡まないでほしいわい」ということです。純粋なファンを大切にね>武藤さん。


          これ以降、藤波は、全日本の武藤社長からの対戦要望などをリアルに拒否。

          藤波「家族まで批判していったことは、許せないこと」
          なによりも、家族を大切に思う(というか人としてあたりまえのことだが)藤波さんらしさが出ている。

          「プロレスは信頼があるから、闘えるんです」という藤波の発言からしても、もう2度と会いまみえる日は
          ないと思われる。集団の全体を考えに入れるか、それとも個人の利益だけを追求するかの違いが出た。

          高山「無我から、お金がすこしだけ多くもらえる全日本に行った。昔は移籍はもっと大志があったが、
              西村は、せこいね」


 ・11月 3日  無我ワールド春日部大会。藤波は竹村と組み、ヒロ斎藤・長井組に勝利。この日は所属選手の離脱に
           対して、一段の結束を訴える大会となった。

 ・11月11日  宇都宮で、キックボクシングと無我ワールドとのコラボ大会が行われた。藤波はキックの新田
           選手と組みタッグマッチを挙行。対戦相手はヒロ斎藤と長井で、これにはさすがに勝てず。

           藤波は「初めてのプロレス参戦で、よくがんばってくれた。まったく違う土壌でここまでやれる
                なんて素晴らしい! 蹴りだけじゃなく、動きも良かった」

 ・11月18日  故郷国東でのはじめての無我ワールド大会。藤波は長井と一騎打ち。ねばる長井を下し、故郷
           に錦を飾った。大阪プロレスからえべっさんが参戦し、吉江と変則タッグで対戦。

 ・11月20日  大分大会で、藤波は後藤と対戦。後藤はヒール殺法を封印して臨んだが、藤波の足4の字固め
           に敗れた。国東に続き、えべっさんがいい仕事をし、記念撮影でも、中央に位置し存在感を出して
           いた。

 ・12月 3日  「DRAGON CUPクルーグリット杯トーナメント」を開催。ノアの潮崎、ハッスルのTAJIRI、ゼロワンの
           高岩も参戦。藤波は高岩を下した。

           高岩「ドラゴン殺法はまだまだ現役ですね。藤波さんの足4の字は返しても痛いんですよ」

 ・12月 8日  前橋大会。メインでは地元の浜田・吉江組が、藤波・高木組を破って喝采を浴びた。


 ・12月13日  後楽園大会で、無我ワールドでの最終戦。「DRAGON CUPクルーグリット杯」は、藤波がTAJIRIを、
           吉江が潮崎を破り、決勝戦へ。それぞれ本日2試合目となる藤波と吉江の対戦は、今年最後の試合に
           ふさわしい内容となり、最後は、なんと吉江のドラゴンスクリューから、コーナー上からの肉弾落としが決まり
           吉江が、藤波を破っての「ドラゴンカップ」優勝となった。

          藤波からのご挨拶文より
             「無我」の名に別れを告げるには、筆舌に尽くし難い葛藤がありました。しかし、真の「無我」の精神というものは、
              理屈や上辺の言葉ではなく、これからも我々とファンの皆様の胸の奥深くに永遠に生き続けるものだと信じて
              おります。



 ・12月17日  藤波は新団体名を「ドラデション」と発表。あらたなる出発となった。





ップ > ドラゴン大年表 >●つぎにゆく

注)2008年以降も「メモメモ年表」ゲンナジめもとなります。                           


 


おことわり 。


   これまで、藤波さんの活躍を中心に、割と客観的に「ドラゴン大年表」を作成してきました。

  でも、「無我ワールド」や「ドラディション」での活躍は、それぞれのサイトに詳細な公式記録があります

  それに、この年以降は、ネット上に数多くのサイトやブログができましたので、

  検索すれば、簡単に情報が入手できます。便利な世の中になりましたねえ(しみじみ)



  そんなわけで、これ以後は、ゲンナジ・ミナーエフの「めも年表」ゲンナジめもとして、
ますます藤波さんのファンとしての「めもめも年表」にします。


                               というわけで、よろしくおねがします。



  追記 「どこが変わったんだ?」というご意見メールをいただきました。はい。 そんなに変わってない??
  



ップ > ドラゴン大年表 >●つぎゲンナジめもにゆく
 
ゲンナジ・ミナーエフ /  ラバーソウルみなみ