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ドラゴン大年表

 ドラゴン大年表 

  平成14年(2002年) あいつぐ選手の離脱で社長も大変。そんな中選手としても試合に出場。さらなる飛躍を目指す。


●平成14年(2002年)  48歳


 ・ 1月 2日  藤波社長が、新年の挨拶で、東京ドーム大会への参加を拒否している猪木に対して、
           「出る義務がある」と発言。また「カード変更は一切しない」と猪木の理不尽要求を一蹴
           した。
 ・ 1月 4日  東京ドーム大会。新日本プロレス30周年の記念第1弾。選ばれた観客が花道を歩くなど
          新しい試みも行われたが、観客数はのびなかった。なお、この日、藤波は「オールスター戦
          としてチャンピオンが集まる大会にしたい」と5月の記念大会について語った。

 ・ 1月16日  武藤が新日本プロレスを退団し、全日本に移ることが報道された。後日、小島、カシンらの
          移籍もあきらかになった。この件につき、蝶野は、「大問題。用意周到でなければ離脱は出来
          ない。幹部・経理もからんでいる。その動きを止められなかった社長にも責任はある」と語った。

           武藤は、藤波社長が全日本との橋渡し的な役割を託していたと報道されたが、結果的には
           敵対する形になり、しかも「引き抜き」が行われ、両会社も、藤波と武藤も決別することになった。


 ・ 1月23日  「藤波宣言」の収録。この中で、離脱した選手(武藤・小島・カシン)について語った。この
           中で、東スポをはじめとするマスコミに、「常識を持って報道せよ」と苦言を呈した。
              藤波 「新日本プロレスの現状を猪木さんに電話しましたよ、ということがああいう見出しになる」
                  藤波 「ピンチの時が、最大のチャンスである。と小泉首相も言ってますよ。チャンスです」


 ・ 1月25日  後楽園で藤波社長が記者会見。藤波は「結論から言う。徹底抗戦です。法廷闘争も含めた
            あらゆる手段を取る」また、「知恵を付けた者がいる」として黒幕を「国会議員の馳浩」
            と名指し。「大義名分を並び立てたが、はらわたが煮えくり返る思いだ」と怒りの形相。
            社長としての立場上の発言と思われる。
            集団の全体を考えに入れるか、それとも個人の利益だけを追求するかの違いが出た。

 ・ 1月26日  藤波が出演したNHKテレビの「新・男の食材」が放送された。藤波は「食栽人」として出演。
           寒ブリをフランス風に食べたいと料理人に注文。「感謝、感謝、すべてに感謝」の色紙を残す。
           リンク

 ・ 1月31日  新日道場で、蝶野の対武藤戦要求を却下。
              藤波「もう、他人の気持ちをくんでやろうかなっていうのは、やめにします」。
       
 ・ 2月 1日  札幌道立総合体育センター大会。藤波は社長として挨拶した。蝶野による猪木の紹介があって、
           新体制が強調された。
              藤波「今年は30周年という節目の年を迎えています。また、数名の選手が新日本から去る
                  ことになりました。気を引き締めて、新しい新日本プロレスをお見せできるよう、選手
                  一丸となりがんばってゆきます」


 ・ 2月 2日  東京スポーツの一面に「藤波社長、更迭」の大きな活字が踊った。2月1日の札幌大会で
          の猪木による蝶野への全権委譲に対応するもの。蝶野が現場監督となる。

 ・ 2月 5日  猪木会長が新日本プロレス事務所を訪れ、藤波社長も含めて叱咤激励した。
           藤波「猪木の強権指令に屈した。蝶野の奪回案を却下したばかりだが、猪木さんに従った」

 ・ 2月 9日  藤波は、武藤らのリング引っ張り出しを推進する現場最高責任者の蝶野に対し、
          「旗揚げ30周年に向けて武藤ら以外のことに目を向けるべき。全日本に対しては法的
           に動くだけ」と、武藤問題をリングから切り離す方針を示した。

 ・ 2月16日  東京ドーム大会。藤波は越中と組み、棚橋・鈴木の若いコンビと対戦。
          この試合後、「社長業に専念するため引退する」と発言。
            藤波「社長業と選手との二足のわらじは難しい」
                   「もうカウントダウンはしません。引退したら2度と復帰もしません。」
                   「全盛期のような体をつくって(引退試合に)臨みたい」


 ・ 2月17日  東京ドームホテルで、坂口会長の還暦を祝う会が行われ、選手はもちろん多くの
          スポーツ・芸能・マスコミ関係者がお祝いにかけつけた。武藤と小島も参加。これ
          には猪木が激怒。

 ・ 3月 4日  藤波社長は小川と橋本の参戦を容認したと報道される。
             藤波「小川も橋本も、試合以外でボタンの掛け違いがあるけど(新日本に)上がってこい
                 という気持ちは我々も(蝶野と)同じ」
                   「蝶野の手腕を見てみたい」(小川と橋本をドーム大会によぶという蝶野に対して)

 ・ 3月 5日  「藤波宣言」で、5月の記念大会での坂口会長参戦の噂について、「ぜひ、リングにあがって
          ほしい。指名されたら、お相手をします」と発言。自らの引退についても、「いつ何時でも、リングに
          あがる用意はしておきたい」と心境を語った。

 ・ 3月 8日  新潟で、ハイパーバトル2002シリーズ開幕。藤波もエルサムライと組んでタッグに
          登場。相手が、シンとシルバの巨人コンビで、敗退。

 ・ 3月12日  藤波は、自らの引退ロード再開を6月のシリーズからという表明をした。
              藤波「30周年を記念するドームに、自分の暗い引退話を持ち込みたくないからね」
                     「大量離脱のような、万が一に備えて、選手でいたいという気持ちもある」


 ・ 3月14日  佐川急便の元・会長の佐川清氏の密葬に、藤波ほか猪木、橋本らが参列。
           翌15日には本葬がとりおこなわれた。新日本プロレスの大スポンサー。
              藤波「ご霊前では、ありがとうございました、と伝えました」

 ・ 3月21日  東京体育館大会に出場。藤波はライガーと組み、蝶野・金本組と対戦。藤波が寝技式
          あばら折りで、金本を下した後、引退宣言を撤回。
           藤波「退団者が出て、故障者も続出している。ここで引退するわけにはいかない」

 ・ 3月28日  藤波が、長州の新団体設立の噂を否定した、と報道される。

 ・ 4月 1日  ロサンゼルスで新日本プロレスの道場開きが行われた。これには藤波社長はもちろん
          猪木・坂口・木村ら多くのスタッフ・選手が参加。この後、記念の登山、トレーニングが
          行われた。
           藤波は、のちに、この道場も「猪木さんを活かしてやれなかったことから、せめてものもの」
          と表現している。

 ・ 4月 8日  この日の日本経済新聞に、「デスクネッツ」社の広告で藤波が登場。「私の会社もIT始め
          ました」というコピーと共に、このインパクトは強い。

 ・ 4月18日  ビッグファイトシリーズの第3戦、埼玉・秩父大会に藤波が出場。西村と組み、後藤・ヒロ
          斎藤組と対戦し、藤波が飛龍裸絞めでヒロから勝利。試合後、蝶野について、「思い通り
          やればいい」と発言した。
 ・ 4月19日  長野・諏訪湖スポーツセンター大会に、藤波が出場。西村と組み、リックスタイナー・
          サムライ組に勝つ。

 ・ 4月23日  藤波は、一日局長として調布郵便局で講演。大勢の観客を集めた。リンク

 ・ 4月26日  藤波は長州の5月いっぱいでの退団と、6月以降も参戦を認めると表明した。
 ・ 4月27日  大分・別府大会。藤波は、吉江とタッグを組み、蝶野・ヒロ斎藤組と対戦。吉江が勝利。
          試合後、藤波は新役員の人事についても触れ、「蝶野・ライガーには、さらに重要なポスト
          についてもらうことになるでしょう」と語った。
           
 ・ 4月29日  長崎大会。藤波は佐々木・デバインと組み、永田・リックスタイナー・安田組と
          6人タッグに出場。なお、入場は「ドラゴンスープレックスのテーマ」だった。
           なお、この日、28日に亡くなったルー・テーズ選手の訃報が届く。
           藤波「言葉もない。カール・ゴッチとは違った意味でプロレスを愛している人だった。
               ぼくも小学校のころからあこがれていて、いま振り返ると、歴史の重みと流れ
               を感じさせる人物でした」

 ・ 5月 2日  東京ドームで新日本プロレス30周年記念大会。
           試合前のセレモニーで、藤波社長が挨拶。坂口会長、もちろん創設者猪木
           の姿も見られた。パラオの政府関係者、タイガー・ジェット・シン、ロビンソンら、
           また、ビデオで上田が登場。30周年の記念セレモニーなのに長州はボイコット。

           猪木の元夫人で創設期に新日本プロレスを支えた倍賞美津子さんもサプライズで
           登場して華を添えた。
                         30周年記念・缶コーヒーより

 ・ 5月 3日  インターネット上の「藤波宣言」でドーム大会を総括。以下、藤波社長の発言より。

          「他団体の選手も含めて、良い試合、良い大会だった。蝶野、そして、スタッフを
           含めて、全員にMVPをあげたい」(全体の総括)
          「言うのは簡単! 実際に動かすのが大変なんだ」(猪木の一連の発言について)
          「彼はいいよね、自分のことだけで生きてゆけるんだから! 僕はプロレス界全体
           を見て動いていくんだから・・・」(長州について。語気を強めて)
          ここでも、 集団の全体を考えに入れるか、それとも個人の利益だけを追求するかの違いが出た。

ドーム大会も無事おわることができました。新日本プロレスは本当に
ファンに支えられていると感じました。今回のドーム大会の他団体出
場は蝶野プロデュースの試みでした。どの試合もすばらしく、刺激に
なりました。次期シリーズにも出来る限り出場します。ドラゴンカッ
プです。
ジュニアに身体を絞って、私も参戦しますか・・・・

           闘魂藤波社長日記 iモードより
(要約)


 ・ 5月15日  藤波は、永田・中西とともに都内の映画「スコーピオン・キング」の試写会に出席。
         会場では馳と遭遇した。馳の「また新日本に呼んで下さい」には絶句。
           藤波「あいさつを交わしました。(離脱事件などについては)もう済んだこと。体制も新しくなって、
               これからはお互い頑張っていけばいいと思う」」


 ・ 6月 1日  5月31日に猪木批判をして退社した長州に対して、藤波は「僕は長州とは立場が違う。
         批判をしていったことは残念だ」
           藤波「別に猪木さんをかばうわけではないが、長州は、会社に来ない、試合に出ない、会議にも出席しない」

 ・ 6月 5日  大阪府立大会。ドラゴンカップは金本が優勝し、藤波社長からトロフィーが渡された。
          なおこの日、蝶野・天山組と西村・中西組の試合は60分フルタイム時間切れ引き分け
          のすばらしい試合となった。

 ・ 6月 8日  東京プリンスホテルで、田中稔と府川唯美の結婚披露宴が行われた。藤波夫妻が媒酌人。
           

 ・ 6月      この日発売の週刊「ゴング」は、表紙に藤波社長が怒っている写真が使われ、
          「不毛な争いは やめてくれ!!」とコピーがついていた。
           記事の中身はほとんど無きにいとしいものだったが、表紙の怒る藤波はインパクトがあって、
           思わず買ってしまった。(※もちろん、普段は買っていません)

 ・ 6月14日   この日の「藤波社長日記」に、一連の長州との新聞記事について「一部新聞紙上で嫌な
           記事が掲載されましたが、記者の皆さんにも、正確な記事を書いていただきたいと思いま
           す」と記載した。

 ・ 6月19日   藤波と蝶野がゴルフコンペの表彰式でガッチリ握手。
             藤波「蝶野は肩書を意識しないでほしい。役員となっても暴れてもらいたい」
 ・ 6月20日   宇都宮体育館で「サマーファイト・シリーズ」が開幕。

 ・ 6月21日  インタネット上の「藤波宣言」で、記者を相手に軽妙なトークを展開。
             藤波「今回が最後のG1(笑)って、言い続けているからなあ(笑) 俺宛のメールでも、
                 いいかげんにしろ!っていうのばっかり。いいんだよ。オオカミ少年だから(笑)」
           株主総会や、蝶野が取締役になったことについては、次のように語った。
             藤波 「プロレス団体でも、株主総会があるのか、って世間でも注目されてます。蝶野の
                  ことは、ある部分では、形を変えて行きたいということ。年功序列だけではない、
                  現役ばりばりの部分を上に持ち上げて行く。」


 ・ 6月26日   前日「G1への出場要求をしてきた」安田に対し、拒絶。
             藤波「オレは絶対に譲らない。だったら越中にでも代わってもらいなさい」

 ・ 6月27日   愛知・春日井大会で、藤波が戦列に復帰。西村と組み、ノートン・後藤組と対戦。
           後藤に足4の字固めで勝利。 

 ・ 7月 1日   NHKの朝の番組「生活ホットモーニング」に藤波が出演。「夏バテ防止スタミナ料理」の
           紹介にゲストとして感想を述べた。テレビ画面
             藤波「僕は、パイナップルが大好きです」

 ・ 7月 4日   姫路大会で、藤波は蝶野と異色タッグを結成し、佐々木・越中組と対戦。蝶野の裏切りで
           越中にフォール負け。
             藤波「お前、バカヤロー!どういうつもりなんだ」(試合後、蝶野に対して)

 ・ 7月15日   「藤波宣言」収録。リング外のごたごたではなく、リング上の熱い闘いに注目して欲しいと
           力を込めて、「ある部分では」を連発して熱弁。また「ドラゴン・ピンバッジ」のプレゼント募集
           も行われた。

 ・ 7月19日   札幌大会で、G1出場権をかけて、安田と激闘。オープンフィンガーグローブを渡され、
           手につけているところを襲われ不利な展開に。おおいに健闘するも、鼻を怪我してしまい
           レフェリーストップ負け。 試合前から、たとえ負けても社長としてダメージなし(「ファイト」)
           と報道されていた試合であったが、予想以上の大健闘に拍手が贈られた。
             藤波「グローブは、記念に家に飾っておきます」

 ・ 7月31日   世田谷の新日本道場で、藤波が公開練習。棚橋にドラゴン殺法を伝授するというもの
           であった。
             藤波「暑かった!地獄ーっ!(笑) いつもデスクワークで冷房の効いているところにいるか
                 ら、きついねー(笑)。ある部分では、若手に、旗揚げの頃の猪木さんと僕との練習
                 を、新日魂というものを伝えたかった。彼は吸収する素直さがあるよね。あとは今日
                 のをヒントに、どうアレンジしてゆくかだね」

 ・ 8月 1日  「藤波宣言」を収録。前日の棚橋選手との公開練習の意義や、これからの新日本選手の若手、
           プロレスのあり方を語る。また外部からの働きかけに対しての新日本の選手に檄も。
             藤波「誰か、ああいう知恵をつけた者がある。腹立たしいし、うちの選手もおとなしすぎるな」
                                        (猪木がNWFベルトを持ち出したことに関して)

 ・ 9月 9日  「藤波宣言」を収録。ケガからの復帰間近の飯塚選手と共に出演。この回のテーマは「雑談です」
           ということではあったが、本当に雑談だったのには驚いた(!)。

 ・ 9月19日  10.14東京ドーム大会のカード発表を前に、坂口CEO(最高経営責任者)就任が発表された。
           これは藤波社長の負担を軽くする意図があると言われた。
           藤波は、NHKテレビ放送「生活ホットモーニング」に出演。将来はスポーツ塾を開校したいと語る。

 ・10月 6日  「無我」2002を後楽園ホールで開催。藤波は棚橋と闘い、逆十字に来る棚橋をエビ固めに斬って
           落とした。この試合には「龍魂伝承」と銘打たれていた。
            藤波は「激動するマット界の中で、もうひとつ違った意味での新日本の原点」と「無我」を表現し、
           これからの新日本の「新しい芽」と意向を示した。

  ・11月 1日  「有限会社エスシーエス」にてインタビューアーを勤める。インターネットでのライブカメラ関連の企業
           のPRに協力し、「会見の様子をマスコミだけではなく、一般のファンの皆さんに提供できたらいいな
           と思いました」と感想を述べる。(このときの模様はリンク。)

 ・11月 8日  ベースボールマガジン社から発行されている「スポーツカードマガジン」の担当者と対談。
           その際、担当の「しゅりんぷ池田」氏は、本ホームページの「ドラゴン大年表」の印刷物
           (つまりこの大年表です)を資料として持参して見せたという。

           藤波社長 「あったあった、こんなこと(笑)」
            (担当者から、「ファンの方のサイトですごく詳しいのがあるんですよ」と差し出された資料を見て、
             目を丸くして)


 ・11月 9日  この日、藤波の出演したテレビ番組「晴れたらいいね」が放映される。房総沖で船釣りに挑戦する
           内容であったが、フジテレビの女子アナに負け。「船が四角くて、ロープが張ってあれば勝てた」と
           20年来のギャグを放った。テレビ画面

 
 ・11月22日  後楽園ホールで、トライアイスロン・サバイバーシリーズの開幕戦。
 ・11月23日  藤沢大会で、トライアスロンサバイバーリーグ公式戦、藤波・蝶野・天山組が、安田、魔界1号、
           柳澤組に勝つ。藤波は1本目に安田から反則勝ち。

 ・11月27日  若手選手のホープ棚橋弘至が刺される事件が発生。芸能ニュースを含め、おおくの報道がなさ
           れた。興味本位のバラエティ番組もあったが、「鍛え上げられた筋肉が命を救った」と、あらため
           てプロレスラーの強さも報道された。棚橋の良い人柄が幸いして、多くのファンからの励ましが
           届いたという。
           なお、棚橋の欠場したリングでは、藤波社長がリング上から頭を下げてファンにお詫びをした。

            藤波「バカヤロー!、そんなこと言うな!」
            (「もうこの仕事ができません」という棚橋に対して)

           この日、藤波のインタビューが掲載された「スポーツカード・マガジン」が発売された。
           主として、新日本プロレス30周年記念カードの発売のためのインタビューであるが、これまでの
           雑誌・紙にも掲載されたことのないエピソードも披露された。 ▼インタビュー記事を読む

 ・11月29日  つくば大会で、リーグ公式戦。藤波・蝶野・天山組は、矢野、ウルフ、鈴木組に勝利。藤波は1本目
           にウルフに「逆さ押さえ込み」を決める。
 ・12月 1日  京都大会で、藤波組は、吉江、西村、中西組に勝利。この試合、1本目に藤波は西村の寝技式
           あばら折りにフォールされた。試合は延長戦になり、藤波が2分19秒、寝技式あばら折りできっ
           ちりと西村からフォールをとって試合を決めた。×


 ・12月  日  ビデオパックジャパンから「新日本プロレス全史30年激動の軌跡」(DVD8枚組)が発売された。

 ・12月23日  この日発売の「ヤングマガジン・アッパーズ・妹増刊(いもぞう)」に藤波のインタビューが
          掲載された。インタビューの見出しは「藤波、城、そして妹」。企画は「妹といくなら、どこの
          お城がいいか?」という問いに藤波が答えるというもので、「妹は、年下の女性ですよね?」
          という藤波一流ののおとぼけが一部マニアにうけたという。

 ・12月30日  来年の1月4日の東京ドームで西村と対戦することに関して、コメント。
           「西村は、ことし一年、プロレスの魅力というものを貫いていたね。僕自身が、いまの状況でどれだけ
            試合できるかわからないけど、プロレスラーにしか出来ない闘いというものを、見て欲しい」


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