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 ドラゴン大年表 

 ドラゴン大年表  平成13年(2001年)  印象的な「ドラゴン・ストップ!」 社長奮戦するも、猪木や橋本に振り回され、苦悩の年に。


平成13年(2001年)  47歳


  ・1月1日     新日本プロレスの公式ホームページに、藤波社長の挨拶が掲載される。しかし、なぜか画像が,わずか数時間で消えていた。

           「今年のテーマは総合格闘技とプロレスの枠を撤廃すること。新日本でも実現させ、これを
           大きな渦に変えたい」(藤波社長の挨拶より))

  ・1月4日     21世紀最初の興行は、東京ドーム大会。IWGPヘビー級王座決定トーナメントが主の大会だが、
           この日の一番のカードは、セミファイナル、「遺恨試合」と散々煽ってきた長州と橋本の対戦だった。

             
      
          それが、途中からおかしなムードになり、藤波社長がストップを命じて、両者レフェリーストップという裁定
          になった。しかし、ファンの不満が大きく、「ドラゴン・ストップ」という言葉とともに、後味の悪い結果となった。

          試合中盤から感情的になって、互いにフォールにいかず、相手をKOしようとする長州・橋本の様子に
          レフェリー服部も困惑、うまくさばき切れず。本部席(?)の判断を仰ぐ形に、だが、放送席の藤波社長は「行け!」と指示。

          お互いのラリアートやキックが強烈に決まって、リング上にうずくまったり、普通ならカバーするところも、あえて行かず、
          相手を倒してやろうという攻撃ばかりを続ける両者。この様子に、心配した放送席の山崎が「いいんですか?藤波さん!」

          それでも、しばらくは様子を見ていた藤波だったが、埒が明かず、攻撃を繰り返す両者に、ついに反応し、リングに上がった。
          このときエプロンから、両手を大きくクロスして試合を止めた姿は印象的で、これがのちに「ドラゴン・ストップ」と呼ばれるよ
          うになった。
                   
          
             藤波「われわれは殺し合いをしているわけではない。わかってください」(リング上で試合を止めて)
             ただし、藤波も興奮していて、しかも早口であったため、ほとんど場内には理解されず。

             うづまく怒号の中、両者とも疲れ切った状態で引き揚げていった。長州の肩に、物が投げられた。

               橋本「うう・・・・、これまで追ってきたものは何だったんだ!」
               長州「うん。またやれば、おんなじになりますよ。(橋本の)ハートの強さ? それはどうかねえ(苦笑)」

              藤波「新しいものが見えたとは思う。選手は12・31の精神を受けている」(これは、昨年12・31大阪ドームで
              アントニオ猪木が提起した「アルティメット・ファイターとプロレスラーの融合を一つの小さな流れとすること」)

            ※この試合の様子と、そのときの藤波社長の行動をつぶさに見てみると、当時「ドラゴンストップ!」と揶揄気味に
             指摘されていたが、興行的には煽るだけあおっておいて、選手の感情がそれをうわまっているようにも見える。
             ストップ直後の放送席で、藤波は「どっちも、勝とうなんて思ってない! このままやらせれば、死にますよ!
             と語気強く語っている。
             解説の山崎が「大事な選手を、ここでつぶしたら、いけません」と、冷静に語っているが、興行という要素を越えた
              さまざまなことがらを、大観衆に忘れさせるほど、両者の熱気が溢れる名勝負だったともいえる。
                                                       (cacao86 2019)

              この大会のメインは、トーナメントを勝ち抜いてきた佐々木と川田の一騎打ち。全日本からの参加の川田と、
             ごつごつした健介の試合が、この混乱の大会を締めくくった。(佐々木の勝ち)
             武藤がWCWから凱旋し、スキンヘッドの御目見え、全日本との対抗戦のはじまりなど、話題も多いはずだが、
             なんといっても長州・橋本戦と「ドラゴン・ストップ」が印象的なドーム大会だった。

    

 
 ・ 1月 7日     ドーム大会以後も20日まで開かれるはずの新日本公式ホームページの掲示板が、過激な書き込みのためか閉鎖
             されてしまった。


 ・ 1月19日     iモードでの「ドラゴン社長日記」で、カシンの契約更改保留にふれ「必ず良い方向にゆきます」と決意を語る。
             この際「契約更改」が「契約公開」となっていて、笑いを誘った。


 ・ 1月31日    ディファ有明で、ファイティングスピリットシリーズが開幕。開幕にあたり、藤波社長より挨拶があった。
             「21世紀最初のシリーズです。先日(東京ドーム)のようなことのないよう、ルール改正などの見直しを
              含めて、選手社員一丸となってがんばります」

 ・ 2月 3日    札幌大会で、藤波は藤原と対戦。「エピローグ・オブ・ドラゴン3」として実施された。この試合では、前半
             藤波は藤原の関節技を中心とした動きについてゆけず、最後はなんとか足4の字固めで勝利した。
             試合後、リング上から西村に対して「無我をやるか?」と呼びかけ、また「2.3札幌は久々のリング。
             正直、コンディションは最悪。プロとして失格です」と語った。

              ◆ファイティングスピリット2001 北海道・札幌道立総合体育センター
               ▼エピローグ・オブ・ドラゴン3 30分一本勝負
                〇藤波(10分57秒・足4の字固め)藤原×

 ・ 2月 9日   ドラゴン社長日記で、「トレーニングメニューを組みダイエットをして、「無我」の復活を考えています」と発表。

 ・ 2月11日    NHK教育テレビ番組「N響アワー」のゲストに藤波が登場。クラシック音楽にいそしむ姿が紹介された。また
             以前オーケストラを指揮した時の藤波の姿や、夫婦でクラシックに対する認識の違いがあったことなど、
             楽しいエピソードが紹介された。新聞のテレビ欄から 

                  ☆音楽
              「N響アワー(NHK教育 後9.00)
              プロレスラー藤波辰爾さんのお気に入りはクラシック音楽。
               激しい試合の後や気分を高揚させたいとき、彼の傍らには
              いつもクラシックがあるという。司会の池辺晋一郎との
              言葉の場外乱闘も交えて送る」

 ・ 2月16日    東京スポーツに「長州追放!藤波容認」の記事が掲載される。新日内部の確執が表面化したもの?。
             と驚いたが、東京スポーツですから。

 ・ 2月18日    藤波社長は、時期を早めて「3月にも米ロサンゼルス道場を開設する」ことを明らかにした。藤波は
             猪木からのアドバイスも受け、「米だけではなく世界各国から人を集めたい」と春から本格的な
             海外戦略に乗り出す、と報道された。

             ※編集者cacao86 は、この当時、ロスに行くファンから、ロス道場の住所を聞かれたことがあります。
              新日本プロレスに問い合わせたのですが、わからないとのことでした。

 ・ 2月20日     猪木の誕生パーティーに小川、藤田、橋本に混ざって、藤波も駆けつける。藤波さんとしては純粋に
             師匠の誕生日をお祝いした(と思う)が、さまざまな憶測を生む行動でもあった。

 ・ 3月 1日     無我道場出身の竹村豪氏が、正式に新日本プロレスに入団。


 ・ 3月 2日     両国で橋本のZERO―ONEの旗揚げ戦。新日本の選手も協力する。
              第一試合からノアの選手が出場。中間に大谷と村上の一騎打ちも(村上の勝ち)、メインは
              橋本・永田組と三沢・秋山組。カードとしては最高に近い組み合わせで、永田が積極的に攻め、
              橋本の思い切りよいキックが決まる。
              最後は三沢に橋本が原爆固めからフォールされるも、小川まで乱入し、秋山が挑発に乗るだけ
              でなく、三沢まで言い返したのは驚きだった。
           

 ・ 3月 5日    藤波は、橋本の旗揚げしたZERO―ONEを「つぶす」と公言した。
             さらに、3/2旗揚げ戦で協力態勢を敷いたことは、「内部偵察の意味があった」ことまで打ち明けた。
             藤波「ファンは新しい物に目を向けるもの。それを利用したまで」
             また、ノア(新日本が対抗戦で興行を展開している全日本とは絶縁関係にある)の「秋山の参戦」に向けて
             努力すると表明。

 ・ 3月 6日    東京・大田区体育館で、「プレ30周年記念試合大会」開催。藤波は試合出場せず、入場式での挨拶
             を行った。またこの後、珍しく、「サインボール投げ」を行い、ファンサービスにつとめた。

              この日のニッカンスポーツには、「ドラゴンが夢を語る」と題したロングインタビューが掲載された。
              社長就任1年9ヶ月で、「公約についていえば、ほとんどできていません」

 ・ 3月 7日     木戸修が、11月に引退すると表明。これで、創設以来の現役選手は藤波社長だけとなる。
 
 ・ 3月20日     代々木第2体育館大会に、猪木が安田・橋本らをひきつれて登場。
              「新日本プロレスは、こんなもんじゃないだろ!」との橋本の挑発に、藤波社長が登場。
              場内から大ドラゴンコールで迎えられた。

               藤波「中西。本気でやるなら、責任とってやるから、やれ!」とリングに向かって叫ぶ。
              この橋本の登場は、藤波社長の許可もないものであったという(藤波の話)

 ・ 3月22日     藤波は、長州と共に記者会見をし、大阪ドームでの試合の組み合わせを強引に変えさせるなど、
              新日本の実質オーナーの猪木を痛烈に批判。温厚な藤波としては前代未聞の途中退席となった。
             
              藤波「今日2人で猪木さんのところに行き5時間以上話し合いました。正直いいまして
                穏やかな話合いではありませんでした。キレました。大阪ドームのカードは猪木さん
                に任せるということになりました。好きにして下さい、ということです。」
 
              長州「現場は大丈夫ですよ。猪木さんの出したカードを受けますよ。まぁー、見せてもらい
               ましょう。ただファンに申し訳ないというのがあるな、カードが二転三転して。まぁー
               社長の気持ちを代弁すれば腹わた煮えくり返ってると思いますよ。」

              記者「言い方は悪いですが、売られた喧嘩を買うということですか?」  長州 「好きに書いて下さい。」
              藤波「大阪はとんでもないことになるぞ」  ~ ここで藤波退席

 ・ 3月25日    TBSのテレビ番組「世界ウルルン滞在記」が放映される。
            2時間のうち、最後の40分に藤波が登場。「いも」しか口に合わなくて、村人からいただいた「豚肉」
            を口にして「うめ~~」と涙ぐんでいた藤波など、6年前に、はじめてパプア・ニューギニアを訪ねた
            時の映像も挿入。今回は、6年ぶりに同村を訪ね、年老いた父親や、孫の「ワタ」と懐かしい再会。
            弱った長老のためにジャングルを越え、山の滝の上まで登る藤波。現役で闘っているプロレスの試合
            のビデオを村人と一緒に見る。興奮して眠れない村人。

             「四角いジャングルは得意だけど、本物のジャングルには弱い」(笑)


 ・ 3月26日   テレビ東京の番組の中で、藤波一家が回転寿司で食事する場面がが映し出された。

 ・ 3月       テレビ番組「人生立て直し太鼓判スペシャル」に藤波が出演(未詳・調査中)

 ・ 4月 5日    深夜、藤波の出演したフジテレビの番組「山登りバラエティ」が放映される。藤波がタレント
            (U.turn =ユーターン)らと共に大菩薩峠に登り、人生を山にたとえた思い出トークや、渓流釣り、
            温泉を楽しんだ。

 ・ 4月 9日   大阪ドーム大会。この模様は、生中継され、村上vsライガーの時に藤波が放送席のゲストに。
            「今日はここにいて、リングにはあがりません。じっくり見させてもらいます」(きっぱり!)と語って
            いたが、村上側の小川に挑発されると、放送席で小川に張り手、その後リングに上がって乱闘の
            収拾にあたっていた。猪木が試合カードを変更したり、生中継で不必要なアイドルを起用するなど、
            ファンにとっては大不評の大会、ならびに放送であった。最初から最後まで混乱だらけで、ファンでも
            混乱する欲求不満だらけの大会で、これでは久しぶりにテレビ観戦しようとする一般の視聴者から
            プロレスファンの獲得は無理だと感じた大会でした。

                

               ※藤波社長のパソコンには苦情&抗議メールが殺到し、藤波は、それを丁寧に読み、藤波さん
               が、「へっへへへ」って笑っていたというおかしな情報が、インターネット上にアップさ
               れたが、どうやら最近のインターネット上での状態を如実にあらわす「つくり話」らしい。

           
 ・ 4月13日   社長日記で「外からとやかくいわれたくない」「これからは、私のやり方で新日本を守ります」と決意を表明。

                 4.9ドームの結果はいうまでもありません。
                 外からとやかく言われたくないのが本音です。
                 これからは、私のやり方で新日本を守ります。
                 この気持ちは選手も同じ。
                 新日本独自のプロデュースでファンの皆さんに
                 納得して頂ける試合を提供します。  4.13
                        以上、iモードの「ドラゴン社長日記」より

 ・ 4月20日   後楽園大会に藤波が急遽出場。越中・ライガーと組み、後藤・小原・スーパーJ組と対戦。試合開始まで
            マスコミにも極秘にされ、カードを発表した途端、大変な歓声に包まれた。藤波はおおいに張り切ったが、
            スリーカウントをとられ、惜敗。

             藤波「いても立ってもいられない心境だ。 今日、急遽出場する事は、会場に来て練習をし始めて
                 から決めた。もんもんと事務所で、やきもきするよりも、現役なんだからリングの上でね」
             なお、この日の社長日記で「橋本の参戦は考えていない」と再度表明。     
 
             ◆ストロングエナジー2001 4月20日 後楽園ホール
              ▼30分1本勝負
              ○後藤・小原・スーパーJ(10分38秒・片エビ固め)越中・ライガー・藤波×

 ・ 4月21日    春日井大会にも出場。西村と組み、武藤・新崎組(BATT)と対戦。試合は西村が武藤に敗れる。
            試合開始前に、新崎が藤波に握手を求めるもこれを拒否。新崎の「拝み渡り」で逆手をとられるも
            大きな張り手を見舞う。武藤に強烈な足4の字を見せ、同時に西村が新崎に卍固めを決めて見せ場
            を作った。試合終盤には、藤波が新崎の曼荼羅ひねりを受ける。武藤の足4の字で西村が敗れる。
              武藤「久しぶりに古典的な試合をして、楽しかったよ。「無我」の向こうに「LOVE」が見える」
              新崎「西村クンとは、ニューヨーク時代に一緒に居たことがある。はじめて試合が出来て、嬉し
                  かった。」
             ◆4月21日 愛知・春日井市総合体育館
             ▼45分一本勝負
             ○武藤・新崎(16分26秒・足4の字固め)藤波・西村×

 ・ 4月22日   津大会に出場。西村・越中と組み、6人タッグ。藤波が飛龍裸絞めで小原から勝利。
            この日、藤波社長は、猪木軍団の攻勢を受けて長州、健介のいない今「休んでいられ
            ない」とシリーズへの参戦を決意し、「大阪(ドーム)から始まった、猪木プロデュースは
            5・5福岡まで。(オレは)その先をにらんでいる」と宣言。主導権を取り戻すため、夏の
            G1クライマックス出場まで示唆した。
            ◆4月22日 三重・津市体育館
             ▼45分一本勝負
             ○藤波・越中・西村(10分17秒・飛龍裸絞め)スコットホール・スーパーJ・小原×




 ・ 4月24日   藤波社長が、「全団体の王者によるグランプリ大会構想」を明かす。年1回開催で、各団体
           の持ち回り方式を検討中とのこと。(※これは、ちょっと・・・、無理でしょうねえ。)

 ・ 4月25日   午後4時1分から、首相官邸にて、藤波が森総理大臣と面会。森首相はこの日の午後0時29分
            からは馳浩代議士とも会っていた。新内閣発足直前のこの会見が意味するものは不詳。    

                 資料 4月26日付、朝日新聞の首相動静(森首相の25日の行動)より、   
                     午後0時29分 馳浩代議士。  (官邸)   
                     午後4時1分  藤波辰巳新日本プロレスリング社長ら。  (官邸)  

             ※ 馳先生、たっつあんと、森さんと(しかも新内閣発足前の25日)会って、
               何しとんのでしょ。(情報:ミスターMさん)


 ・ 4月25日     「ビデオパック」から「飛龍伝説」のビデオおよびDVDが発売された。エストラーダ戦から藤原戦まで
            主として91年以降の藤波の代表的な試合・全44試合や「飛龍革命」などの名場面がダイジェスト
            収録されている。DVDは特別インタビューも含む168分収録。インタビューの部分は「ドラゴン・ボンバーズ」時代の
            ものを採録しているようだ。(追記:20周年記念のビデオにそれ以降の試合・インタビューを追加・再構成したもの
            であることが判明)定価7140円(税込み)。このDVDのオープニングは秀逸で、少年時代からの藤波を一気に見
            せてくれるファン必見のもの

 ・ 4月28日    別府大会に藤波が出場。セミファイナルで飯塚・永田と組み、小島・天山・後藤組に勝利。

 ・ 5月 4日   社長日記で小川のカード変更要求をはねつけ、「これが新日本の姿勢です。すべて受け止めて見せます。」
            と決意を表明。

 ・5月 5日    福岡ドーム大会。藤波は試合には出場せず。メインの長州・中西組と小川・村上組の
            対戦は、多くの新日ファンの期待に応えていないものだった。

 ・5月 6日    藤波社長が「小川追放」宣言を。理由として「我々の業界で生きていく、すべての教育がなされていない」
            と報道された しかし、翌日には追放が撤回された。

 ・5月10日    7月20日の札幌ドーム大会のチケットが発売開始されたが、このうちアリーナ席の
            チケットは、「デジ・カード」(CD-ROM)つきで発売された。
            この中には「選手コメントムービー、新日CM集、札幌ドーム情報、興行日程、壁紙」
            が入っており、選手コメントの5人の中に藤波社長も入っていた。
             (※注、このチケットは、購入していませんので、情報をお寄せ下さい。特に藤波のコメントについて)

 ・5月11日    藤波、引退を撤回。社長業が多忙で「引退カウントダウン」を始めたが、佐々木の戦線離脱、
            長州の負傷など本隊の危機に、完全復活を決意。
            「カウントダウンはなくなった。次期シリーズからリングでフル回転する」
            なお、この日、藤波社長は、アントニオ猪木会長と会合を持っている。

 ・5月12日    藤波の出演した関西テレビ系「トミーズのはらぺこ亭」が放映された。

 ・5月20日    藤波は、古河大会に出場。6人タッグ。なお、西村が、武藤から勧誘されたBATT入り
            を完全拒否し、「無我」の再興を藤波社長に直訴した。

 ・5月26日    海老名大会に出場し、6人タッグに出場。なお、メーン開始前、欠場中の蝶野が突然マイ
            クを握り
            「オイ藤波! 永田がIWGP戦で藤田に負けたら、責任取って社長辞めろ!」と暴言を
            吐いた。
            これを聞いた藤波は「大きなお世話だ! 勝手なことばかり言いやがって」と激怒。

  ・5月27日    静岡大会で、6人タッグに出場。ヒロ斎藤に飛龍裸絞めを決めて、ギブアップ勝ち。
             藤波「蝶野のヤツ、今日は姿見せなかったね。オレも、もう1回リングでも暴れま
             くらないとな」

  ・5月28日    新日事務所での永田弟の優勝報告会(東アジア大会レスリング・グレコ69キロ級で金メ
             ダルを獲得)が行われ、藤波社長より金一封が贈られた。
             藤波「お見事。シドニー(銀メダル)は伊達じゃないと思いました。よく頑張ったね」
             なお、噂されるノアの三沢との話については「何もないよ。進展なし」と発言。

 ・6月 3日     津山大会で、藤波は西村と組み、越中・竹村組と対戦。西村が、竹村からあばらおりで勝利。
            無我戦士の竹村を迎え、さながら「無我」のような展開の試合となった。

 ・6月 4日    大阪府立大会で、藤波はマシンと組み、蝶野・AKIRA組と対戦。藤波がAKIRAから飛龍裸絞めで
            勝利。

 ・6月 7日     「週刊新潮」誌の連載コラム「私の週間食卓日記」で藤波選手の一週間(5月5日~11日)の
            食事メニューが取り上げられた。過密なスケジュールで多忙でありながら、可能な限り家族と
            一緒に食事を摂ろうとする姿勢とが紹介された。(情報:タダヒコさん)

             ※5月9日を例に挙げると、
                6時に起床のあと、午前中は事務所での朝礼に始まり、幹部会、来賓との懇談が続き、
                昼食もTVスタッフとの打ち合わせをしながら。さらに午後は、マネージャパンの取材や
                興行部との打ち合わせがあり、夕食も経営者懇談会を兼ねての会食・・・・
                社長業って、やはり大変なんだなあとシミジミ感じた私でありました。(タダヒコ)


 ・6月14日    東京スポーツ紙上に「藤波参院選に出馬」と報道される。しかし、結局、出馬は断念した。
           一説によると、藤波本人は乗り気であったが、かおり夫人の大反対にあったといわれる。


 ・6月22日    この日から、新しい「プロレスリング競技者規約」が制定・発効された。
           場外カウントなど、従来曖昧だった面にも細則がもうけられている。

 ・6月28日    この日の産経新聞に「新日本プロレス・世界視野膨らむ熱き夢・「第一歩」は株式上場」
            という記事が掲載され、藤波社長の「懸案事項である社内規定の整備・充実をしてから
            来年にはナスダック・ジャパンへの上場をしたい」という談話が掲載された。なお、藤波社長の写真
            には「ナスダック上場を目指し株式を公開した新日本プロレス・藤波社長は、熱く“夢”を語った」と
            キャプションがついていた。

 ・7月 6日   新しい「無我」のジャンバーが完成し、藤波が社長室で試着。ご満悦の表情であった。
           

       

 ・7月 9日   大阪・岸和田大会に出場。この日、藤波は新しいジャンバーを来て入場し、「無我」を
          アピールした。

 ・7月13日    リングスの前田日明が、藤波社長を訪ね、和解。今後の交流に関して、両社長とも
            「これから」と口をそろえた。
            藤波「KOKルールで、オレが前田と戦ってもいいよ」

 ・7月20日   札幌ドーム大会。メインで藤田はドン・フライに勝ちIWGP王座を守った。なお、藤波は
           木戸・長州と組み、棚橋・鈴木・真壁と対戦。試合は「木戸メモリアル」として行われ、
           木戸が棚橋をワキ固めで破った。
              ●この大会のデジ・カード
                      
            藤波社長はじめ、選手や、応援する芸能人からのメッセージが入っているという。
             (※ネット上の画像より借りてきました)

 ・7月24日    藤波は、ジャンボ鶴田夫人の保子さんらと厚生労働省を訪ね、臓器移植の普及に冠する
            要望をし、「ジャンボ鶴田の遺志を、リング上から応援していきたい」と語った。


 ・8月1日     この日より、i-mode で情報の配信が始まった。コンテンツとしては「新日本プロレスの最新情報や
            待ち受け画面、着メロ 、さらに、「蝶野・武藤・藤波社長」によるそれぞれの日記などが配信され、毎日
            が楽しみだった。「新日本プロレス・オフィシャル・サイト」で、 月額300円の情報料金だった。



 ・8月 4日    大阪府立で、藤波はG1クライマックス公式戦に登場。引退を撤回したばかりか「G1」にも参戦。中西に敗れる。

 ・8月 5日    大阪府立に連戦。公式戦で安田と対戦。積極的に攻めてくる安田に防戦しつつ、余裕の展開になったが、一瞬の
            立ち上がってのアキレス腱固めに、思わずタップした。まさかの2連敗となる。

 ・8月 6日     藤波はG1公式戦で、村上と対戦。村上のルール無視の暴挙に完全に怒り、36秒で攻撃を
            かいくぐって首固めで勝利。その後も怒りは収まらず、控え室まで追いかけた。
             藤波「このままじゃ、すまさん!」

 ・8月 8日    藤波は田中と対戦。ドラゴン・バックブリーカーからの飛龍裸絞めで快勝した。

 ・8月10日    藤波は、決勝進出への望みをつなぐ、永田との対戦。ペースを握りながらも、永田の
            岩石落とし固めに惜敗。なお、永田は13日に武藤を破って優勝。

                 藤波の「G1クライマックス」の戦績
                  ◆G1クライマックス 8月4日 大阪・大阪府立体育会館
                   ▼公式戦30分一本勝負
                   ○中西(5分18秒・アルゼンチン式背骨折り)藤波×

                  ◆8月5日 大阪・大阪府立体育会館
                   ▼公式戦30分一本勝負
                   ○安田(5分14秒・立ち技式アキレス腱固め)藤波×

                  ◆8月6日 愛知・愛知県体育館
                   ▼公式戦30分一本勝負
                   ○藤波(36秒・首固め)村上×


                  ◆8月8日 宮城・仙台市体育館
                   ▼公式戦30分一本勝負
                   ○藤波(8分38秒・飛龍裸絞め)田中×

                  ◆8月10日 東京・両国国技館
                   ▼30分一本勝負
                   ○永田(11分30秒・岩石落とし固め)藤波×



 ・8月19日     K―1対猪木軍の大会が行われ、安田も藤田もふがいなく倒される。特に、藤田はIWGP
            王者として敗れてしまった。

 ・8月24日     ノアの創立1周年のパーティで、藤波と三沢の両社長が、公式な場での歴史的な握手を
             した。このパーティで、藤波は、「待ってるよ」と秋山に声をかけた。
             藤波社長は10・8東京ドーム大会に、ノアの秋山準が参戦することに謝意を表明し
            「秋山選手の新日登場からスタートです」と語り、将来的な交流戦実現へと含みをもたせた。

 ・8月30日     VALISより「龍魂・藤波ドラゴン伝説」のビデオが闘魂Vスペシャルとして発売された。
            91年の馳戦から、2001年6月の津山大会までの藤波の名勝負が全11戦収録され、
             藤波本人のインタビューや武藤とのトークなどが楽しめる内容になっている。120分。


 ・ 9月13日    水戸大会で、藤波は西村と組み、チーム2000のヒロ斎藤・後藤組と対戦。相手の
             タオルを使ってのかく乱戦法にもおちついて対処し、ドラゴンスクリューから、最後は
             ヒロを飛龍裸絞めで切って落とした。
             なお、この日の試合はsxwで中継された。
            、解説の小鉄は、無我について、「西村が言うような無我なら、相手が殴るけるで来ても
            、絶対に殴り返さず、レスリングの基本で行け。原点に帰るというなら、もっと細かいテク
             ニックを見せろ」となかなか厳しい意見を述べていた。
        

 ・ 9月19日    松本大会で、藤波は西村と組み、永田・ライガー組と対戦。まさかの首固めで藤波が
            ライガーに敗れた。
             なお、この日、藤田との対戦などに否定的な見解をしめした小川に対して藤波は、
            「あとになってあれこれ言う。だったら、なぜはやくから言わないのか。猪木さんを隠れ蓑
             にしすぎる、猪木さんを語るのは、10年はやい!」


 ・ 9月23日    大阪・なみはやドーム大会で、IWGPタッグ選手権をかけ、藤波・西村組が、天山・小島
             組を破り、第41代IWGPタッグ王者になった。西村の回転足折り固めが小島に決まる。
             藤波・西村の「無我」コンビの戴冠。ベルトを持って、藤波は終始、満面の笑みであった。
             藤波「俺が、足を引っぱらないようにと。まだまだ引退なんて、してられない。
                猪木、見てろよ!」

 ・ 9月 28日    この日の産経新聞・夕刊に「イブニングマガジン。相田みつを 私を支える座右の銘 藤波辰爾」が
             掲載された。
              腰を痛めて欠場中にファンから贈られた『にんげんだもの』を読み、精神的に勇気づけられた体験
             と「家族で書道をならい始めた」と話す。もちろん、10月7日の「無我」の宣伝も忘れず。

 ・ 10月 7日   後楽園で「無我」大会が、東京ドームの前夜祭として行われた。藤波はボブ・バックランドとエキヒビショ
            ンで5分闘い、3分延長して、時間切れ引き分けとなった。
            この試合は「藤波デビュー30周年記念・第1弾」として、また「飛龍十番勝負・最終戦」としても行われた。
               藤波「20年越しの十番勝負は、これでよかったんじゃないかな」

             メインでは、西村がドリーファンクジュニアと闘った。また、トニーセントクレアも参戦、仲野信市の引退
             試合も行なわれた。大会終了後には恒例の記念撮影。会場から「無我」コールがおこった。

               藤波「今回は、新日本。 次は、(本当の)「無我」をやるから」

             この藤波の発言からは、本来の「無我」とは違った形で開催したことがうかがわれて、ファンは単純には
             喜べず、のちに、「無我もどき」の大会ともいわれるようになる。

  ・10月 8日   東京ドーム大会。藤波・バックランド組とテリー・ドリーのファンクスのタッグマッチが行われた。ドリーは
             新日本初登場。
             ベテランならではの味わい深い「プロレスらしいプロレス」を展開。最後は藤波がドリーに飛龍裸絞めから、
             逆さ押さえ込みで勝った。藤波にとってファンクスは若手時代からの「雲の上の人」で、その人とのとの対戦
             は、ファンにとってもドリームマッチであった。

               藤波「誰が、この試合を想像しましたか! 新日本のマットで」

              メインは、永田が秋山と組んで、馳・武藤組と対戦。全日系の秋山の参戦はおおいに話題となった。
              格闘技系の試合や新大巨人コンビの登場も話題になった。

 ・10月12日    SURVIVAL2001シリーズが上田で開幕。藤波は、バックランドと組み、セントクレアー、スチーブカーン
             と対戦。バックランドが首固めでセントクレアーを丸めて勝利した。試合自体は、すっかり「懐古的」なもので
             ひとつの時代がおわっていると、昔からのファンにも思わせるようなものであった。なお、ドリーファンクジュニア
             も参戦し、武藤・西村組と対戦した。

 ・10月13日     四日市大会。藤波はスチーブカーンと組み、ドリー・バックランド組と対戦。20分を超える対戦は、ドリー
              の回転足首固めがカーンをとらえて終了した。

 ・10月19日     大分・別府ビーコンプラザ大会で、藤波・西村組が武藤・ライガー組を下し、IWGPタッグ選手権を初防衛
             藤波が武藤から足4の字固めで勝利した。ライガーは、初のヘビー級タイトル挑戦。
               藤波「西村、ベルトよく似合うよ(笑)。 このタイトル戦は俺のコンデション次第。そういう責任が
                   あるよね」

 ・10月25日     神戸市長選の候補の応援に藤波がかけつけ、講演中のオランダ首相夫人に花束を贈呈した。
             また、この日、マスコミの取材を受け、武藤からの挑戦指名や、全日本のリングにあがらないこだわりなど
             を語った。

               藤波「うまくいかないよねえ。ほんとに」
               (せっかく全日本のリングにもあがれる状況になったのに、ジャンボ鶴田がいないことに対して)

               藤波「僕以上に、新日本プロレスを守る義務があるんじゃないの?」
               (猪木に対して)

 ・10月28日    福岡ドーム大会で、藤波・西村組が、武藤・太陽ケア組に敗れ、IWGPタッグ選手権の防衛に失敗。この試合
             は全日本の「世界タッグ」タイトルもかけられていた。なお、この夜、10月8日の試合カードが「変更なし」と
             いう藤波社長の意向によるファクスがマスコミ各社に送られ、猪木の介入を拒絶した。
               藤波「リングで闘う以前の問題は、もうウンザリだ」

 ・11月 4日    東京・国分寺の東京経済大学の学園祭で、藤波が講演会をした。午後1時半から約1時間。

 ・11月16日    金沢の産業展示館大会で「G1タッグリーグシリーズ」開幕戦。この試合前に、藤波は「三冠戦だけでなく
             IWGPタッグ挑戦も」と、大阪大会への決意をぶちあげた。試合は西村・中西と組み6人タッグで、藤波が
             後方回転エビで天山を料理。

 ・11月16日    この日発行の「新日本プロレス情報メール」より、最後の発行人に
             「編集・発行 新日本プロレスリング(株):発行責任者 藤波辰爾」 と明記される。

 ・11月17日     藤波は都内の料理店で取材を受け、永田のミルコ挑戦や、猪木祭りの問題に対する見解を述べた。
               藤波「僕のプライドとかは、もう何年も前から、ズタズタですよ。馬場さんが良識を重んじたのは
                   あたりまえですよ。降って沸いたような話が実現するのがおかしいんです。僕が、あまり
                   に路線を踏み外さないので、(猪木さんは)気にしているのでしょう」

 ・11月24日    サンタモニカのホテルで、猪木と藤波社長らが会談をもち、猪木祭りへの永田の出場が決まった。この
             記者会見で、藤波が猪木の頬を張って報道陣をビックリさせた。
               藤波「あえて、猪木さんの毒を飲む」

 ・12月11日    大阪府立体育館で、藤波は武藤の持つ「三冠ヘビー級」王座に挑戦。積極果敢に攻め込むも、敗れ、
             惜しくもタイトル奪取はならなかった。
             藤波は、久々の「おきて破りの」新技「シャイニング・ドラゴン」まで出して果敢に攻め込んだが、武藤の
             「シャイニング」5連発を受け、最後の顔面への「シャイニング」でマットに沈んだ。

                ※「藤波さんが「藤波辰爾」を演じきれなくなってしまった!」とプロレス掲示板に書き込んだところ、
                  さまざまなコメントが書き込まれ、藤波さんの人気とファンの想いを再確認したcacao86 でした。

             この数日前から「初心に帰る」ということで赤いタイツを着用していたが、ファンの間では評判が良くな
             かった。この日は黒のストロングスタイルを象徴するタイツで闘った。なお、レフェリーは和田京平。
                藤波「やっぱり武藤はうまかったね」


 ・12月17日     インターネット上の新日公式ホームページで提供するNJTV有料コンテンツ「藤波宣言」の第1回分を
             収録した。毎週藤波社長が情報を提供するという触れ込みである。(実際には、「毎週」の更新は出来ず
             月に1度のことも)



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