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ドラゴン大年表

  ドラゴン大年表  

  平成12年(2000年) 闘う社長として八面六臂の大活躍

 

   注)新日本プロレス社長としての藤波の記者会見は、話題が多岐に渡るため
     その内容を精選してあります。


●平成12年(2000年)  46歳



 ・ 1月 初旬  藤波は1月4日放送分の「ワールドプロレスリング」冒頭で、挨拶。
           「ことしは、辰年、ドラゴンの年です!」(満面の笑みで)
           

 ・ 1月 下旬  藤波は、雑誌記者のインタビューで、新日本プロレスに格闘技路線用のリングを準備
          すると発言。藤田がもどって来れるように、またヒクソンがあがれるためにと。この後、実際に
          格闘技路線の選手として永田を推進していた。
          また、新日本プロレス社長として、契約更改を、「選手がよく考えて契約するのは、
          いいこと」と長州を同席させずに進めた。

           「FAやトレードもありうる。ある意味で、社長がトレードされたりして(笑)」

 ・ 1月 下旬  「藤波社長就任記念ビール」が浦安橋ブリューワリーから発売された。ピルスナー、ヴァイツェン
          の2種類で、1リットルボトルセットが5000円、330ミリリットルセットが2000円で、限定2000
          セットが販売された。
            (画像)

 ・ 2月 5日  札幌月寒大会。藤波社長は、4/7東京ドーム大会の開催発表と、佐々木の相手としてゴールド
          バーグの招聘を示唆する発言をした。
           「組みたいカードはたくさんある。1/4の流れをそのまま持って行きたいのと、流れをもうちょっと
            広げたカードも組みたい」

 ・ 2月20日  両国大会。第一試合として行われる予定だった藤波と鈴木健三の試合が、鈴木の負傷欠場によっ
          て中止となった。またこの日、藤波社長は、リング上から挨拶し、4/7の東京ドームが8年ぶりの
          ゴールデンタイム生放送されることを正式に発表した。
           「ファンが夢にまで見た金曜8時に、ふさわしいカードを提供します」
           このあとリングにあがった猪木は、3/11の力道山大会に橋本と小川を組ませることを観客に提案。
           藤波の「橋本vs小川」という思惑とは違う発表となった。

 ・ 3月 3日  この日の東京スポーツに、「小川、橋本は『平成の藤波、長州』になる」との藤波の発言が掲載された。

 ・ 3月上旬  藤波は「限定100試合」を非公式に口にしたが、これについて、引退へのカウントダウンではない、と
          コメント。

 ・ 3月 6日  後楽園大会で、藤波社長は、リング上から「5/5福岡ドーム大会開催」を発表。これには、3月3日に
          「6日に重大発表がある」と聞いていたマスコミ陣は「肩すかし」をされた形に。「引退勧告を、藤波社長
           が拒否したのでは」とささやかれた。

           「昨年6月以来、リングから遠ざかって、事務所のイスにすわって、ストレスがたまりすぎなんで、
            ちょっとイライラしています。5月5日について、近々、具体的な内容を報告いたします」

・  3月11日  横浜での「力道山メモリアル」のメインで、橋本と小川がタッグを組むが、試合前に
          橋本が村上に襲われ、大流血。藤波は「無責任に組むから、こんななっちゃうんです」と非難。
          猪木は自身のプロデュースが失敗に終わり、大激怒。平田・剛組と、安田・木戸組も出場。
          エキシビションで、猪木がジャニーズジュニアの滝沢と、プロレスごっこともいえる試合をし、
          レフェリー藤原の高速カウントで敗れた。これらの模様は「100円ショップ」のダイソーにて
          販売のDVDで見ることが出来る。

 ・ 3月14日  橋本が4/7東京ドームでの対小川戦「引退をかける」と発言したことについて、藤波は「引退は
          させない」と援護。橋本がなおも「引退をかける」と態度を固持したため、藤波は「自分の置かれた
          厳しい立場を肝に銘じろ」と発言。

 ・ 3月23日  この日発売の週刊「ファイト」の1面で「藤波、現役引退に合意」と報道される。5/5福岡ドームの
          試合から「飛龍カウントダウン」を開始、とされ、現役にこだわり早朝練習、とも。が、記事には藤波の
          具体的な発言は何も記されていなかった。

 ・ 4月 5日  藤波が記者会見で「引退を決意した」と発表。

          「非常に悩みました。社長に就任してからはシリーズに参戦できない、もどかしさがあり、また、選手の
            成長もあります。活性化という意味ではケジメが必要かと。体力的なものでの引退ではない。猪木さ
            んのことばを借りれば、いつ何時でもリングにあがる覚悟というのは失いたくない」
          「息子が6歳になって、職業というものを意識できる年頃になってきて、ボクシングの世界でも辰吉君が
             網膜剥離で引退をせざるを得なくなったなかで、自分の子供に生きざまを訴えた。自分とダブルもの
             があった」
          「対戦相手は、みんなに現役復帰してもらわないと。長州、師匠であるアントニ猪木、前田日明、天龍。
             無理をしてでもやりたい、というのはある。ファンの声を聞きたい気持ちもあります」

           なお、この日発表された「5/5福岡ドーム」のポスターには「エピローグ・オブ・ドラゴン」の文字があり
           カメラマンからだされた「手を振ってください」との注文は拒否。

 ・ 4月 7日  東京ドーム大会。橋本が小川に敗れる。なお、この試合は「橋本が負けたら、即、引退スペシャル」と
          いうスタンスで生中継され、驚異的な視聴率(瞬間最高24%、平均15%)をあげた。
           なお、番組の冒頭に、猪木・坂口・藤波の背広での入場シーンが映し出され、時代の
          移り変わりをアピール。飯塚と村上の乱闘シーンなど、橋本vs小川戦をあおる形での
          映像も高視聴率の要因となった。

          藤波「もちろん、(橋本が)続けるのであれば、後押しはする。今日の試合は、勝ち負けを越え
            た戦いだった」

 ・ 4月10日  猪木事務所で猪木と共に記者会見をした橋本が、新日本の藤波社長を訪れ、挨拶。

          藤波「今日の橋本には、オーラが、後光がさしていた。信じてますよ。僕より先に引退させる
             わけにはいきません。本音で、自分のやりたいことを貫き通せばいい」

 ・ 4月19日  4月14日の気仙沼大会の試合中に倒れた福田雅一選手が死去。藤波社長が沈痛な
          面もちで記者会見をした。翌20日に千葉大会で10カウントゴング、21日には品川区荏原で
          告別式が営まれた。 

          藤波社長は、新日本の代表として、福田選手の補償問題、橋本の引退問題、さらには、新日本
          プロレスの「株式公開」の準備など、試合を離れての諸問題に対応するかたわら、東京スポーツ
          紙上での蝶野からの「罵声」による話題づくりにもつきあっていった。

          蝶野「上に(猪木)ペコペコ、下(選手)にはめっぽう強い藤波。レスラーなのに、シリーズには影も
              ない。無能社長。九州の恥」
          藤波「蝶野は、クビだ
         

 ・ 5月 5日  福岡ドームで、藤波引退ロードの第1戦「エピローグ・オブ・ドラゴン1st」が行われた。
          蝶野との一騎打ちであったが、敗れる。「ベストな状態で臨みたかった」とのコメント。

          藤波は、慢性胆嚢炎で激痛が走っていたが、手術を先送りにしての試合出場だったことが
          あきらかになった。(手術はこの日から約4年後の、2004年1月に行われた)
          この日、藤波の見せた技は、ドラゴンスクリューが精一杯であった。

          実は、この日の対戦相手には、ジャンボ鶴田という夢のカードも用意され交渉されていたが、
          鶴田の病状から、対戦は幻となった。

          なお、この日、肩の負傷をして試合に出場していた小川の助っ人として「謎の白覆面」が登場し、
          (試合前から、ドームの中を車で「元気ですか〜」と乗り回していた「白覆面」は、試合にも乱入)
          圧倒的な強さを見せた。これには、さすがに藤波も制止に入った。

 ・ 5月12日  藤波は、記者会見で「これ以上わがままを通すなら、即刻解雇だ」と橋本に関して語った。

 ・ 5月14日  フィリピンで死去したジャンボ鶴田に、藤波が哀悼のメッセージを贈る。
          「ついに対戦はかないませんでしたが、引退後にプロレス談義でもしてみたかった」

 ・ 5月15日  「決断の日」と語っていた橋本が、姿をあらわさず。健康診断の日程が伸びてとのこと。
          藤波は「他の事情ならキレるところだけれど、橋本の決断は猪木さんなしで聞きたい」と。


 ・ 5月18日  橋本が藤波の留守に辞表を持って現れるも、藤波は受理せず、破棄。
          「どんな手段を使ってでも、橋本をリングにひきづりもどす」

 ・ 5月26日  東京ドームで行われた「コロシアム2000」でのヒクソン・船木戦を、橋本、藤原らと観戦。  
          「船木の引退は、ある意味で非常にもったいない」
    

 ・ 6月 2日  日本武道館大会。藤波は、西村の復活試合の対戦相手となる。西村は試合後「無我の
          リングで、もう一度挑戦を」と叫ぶ。また、この試合後のインタビューで、
          藤波は自らの引退宣言を撤回。理由のひとつに、橋本の引退問題をあげた。

 ・ 6月 5日  藤波の公式ホームページ「無我」に、「無我は絶対に必要。無我は必ずやります!」
          と発表。

 ・ 6月11日  石澤の「プライド」参戦を認めないという内容の記者会見をする。また背後に猪木の
           影を感じ、「これ以上手を出すな!」とコメント。

 ・ 6月25日  「藤波辰爾の遊び塾」の募集が開始された。これは夏休みに山梨県の白州に行き、
          藤波が「トレーニング」「プロレスチャンコ」「男の生き方」指南をするという楽しい
          プログラムが満載というものだった。主催者側の都合により中止となった。

 ・ 7月 5日  新日本事務所で石澤と会談を持ち、本人の参戦「プライド」への意志が固いことを確認。
 ・ 7月20日  記者会見で石澤の「プライド」参戦を認める発言。「今回に限り、OKを出しました」

 ・ 7月30日  この日の横浜アリーナ大会で、引退したはずの長州が試合に出場し、大仁田とノーロープ
          有刺鉄線マッチを行った。
        
          藤波の話「僕個人としては、何も言うつもりはない。あえて水をさしたくもないしね」
                「ただ、1万8千人の観客動員数は、興行としては成功だったのではないか」

 ・ 8月 1日  G1への出場に向けて「橋本のことで悩んでいるくらいなら、練習する」と決意を語る。
          しかし「橋本が出たいというのなら、出場権を譲ってもいい」とエールをおくった。
          また、この日から新日本の公式ホームページで「iモード」の情報発信を始め、毎週
          月曜日に「蝶野に訊け!」、水曜日に「ムタ日記」、金曜日には藤波の「ドラゴン
          社長日記」が更新されるなど、いろいろなコンテンツが提供されはじめた。

 ・ 8月 7日  大阪府立で、G1公式戦。藤波はライガーと一騎打ち。ライガーが戦闘モードの衣装で
          掌底を連打して来るも、足4の字固めで、勝利。(10分33秒)

 ・ 8月 8日  大阪府立で、G1公式戦で永田と一騎打ち。ドラゴンスクリューや腕ひしぎ
          で攻め立て、足4の字で優位に立っていたが、最後はバックドロップホール
          で敗れる。永田には、一年前に続き、2度目の敗退。

 ・ 8月11日  両国のG1公式戦で後藤と対戦。ゴング前のラリアートや、試合開始直後の
          バックドロップをみまわれるも、飛龍裸絞めで勝利。試合後「ここまでくれ
          ば、自分の限界への挑戦」と語る。

 ・ 8月12日  両国で、G1公式戦。飯塚にスリーパーを決められ敗退。飯塚の左足をロー
          プにかけておいてのヒップドロップや、ドラゴンバックブリーカーと、積極
          的に攻めて試合の主導権を握っていただけに、試合後はターンバックルをた
          たきつけて、悔しさあらわしていた。

 ・ 8月23日  橋本から引退撤回復帰報告を受ける。藤波は、手をして、「握り返すものに、気持ち
          がこもっていた」と表現した。

 ・ 8月27日  西武ドームで「プライド8」大会が行われた。藤田はケン・シャムロックに勝つが
          石澤はハイアン・グレーシーに敗れる。プロデューサーは猪木で、リング上から
          挨拶と「ダー!」。

 ・ 9月 9日  橋本が自らの復帰戦の相手に藤波を指名。藤波は「甘えるんじゃない」と一括。

          このころから、「新日本プロレスのホームページ内の伝言板」の削除を禁止し、
          藤波自ら、批判だらけのファンからのメッセージを見るように努力したという。

 ・10月 2日  CS放送の「Sports-i ESPN」で新日本プロレスの中継を開始。テレビ朝日で放送
          しない大会を中心に、企画ものも多くした内容となる。隔週で2時間放映する。
          
 ・10月 8日  藤波は、東京ドーム大会の前夜祭で、「あわててコンデションづくりをしています」と余裕の
           発言をする。

 ・10月 9日  藤波は、東京ドームでの第1試合に、復帰する橋本と一騎打ち。

          藤波は、壮絶な殴り合いをしかけて、あえて橋本を燃えさせる試合をした。
          藤波は、自分の手を痛めてしまう程の拳を橋本にたたきこみ、最後は、橋本の重い蹴りを
          真っ向から受け、14分18秒に「変形の羽折り固め」で敗れる。この試合が、この大会の
          ベストバウトという記者やファンも多かった。

          試合後の藤波 「早い機会に、小川とやらせることが、当面の目標となると思う」
      とコメント。ところが、橋本は、藤波社長に丁重な御礼を述べ、さらに「独立する」
      と発言し、関係者をあわてさせた。
      後日「新日本プロレスリング・ZERO」を旗揚げ設立すると発表し、さらにその後
      「ZERO・ONE」に路線変更した。

           なお、この日は「新日本 vs 全日本」というコンセプトの大会で、淵と(全日側参戦の)越中組
         と対戦した蝶野・ミスターT(後藤)組が勝利。メインの健介と川田の一騎打ちは、両者の意地と
         意地の対戦になり、壮絶なキックとラリアートで最後は川田の勝利となった。

           「ストロングマシーン」のコスチュームとテーマで入場し闘った「ミスターT」に対して、場外の
         平田が「後藤!ふざけんな!」と正体を明かし、健介はベルトの返上を申し出た。


 ・10月10日  藤波は、橋本の独立に関して「わがまま」と発言。
 ・10月11日  東京の帝国ホテルで催された「アントニオ猪木・詩集出版会」に藤波が出席し、猪木と握手。

 ・10月13日  藤波は、「闘魂ラーメン」(千葉県柏市・東武野田線増尾駅前)に。サイン色紙を残す。
          
 ・10月18日  記者会見で「他団体との交流」について「三沢、小橋、秋山の参戦を望んでいる」と
          実名をあげ、「ノア」との交流をはじめて口にした。

 ・10月      札幌ドームの広報誌「HIROBA NEWS」に記事が載る。
          「来年は札幌ドームで!!」藤波辰爾が熱く語る。 〜闘魂SPECIAL TALK 藤波辰爾氏

 ・11月 1日  東京国際フォーラムで行われた「松任谷由美ワンナイトコンサート」にゲストの一人として
          招かれる。、公演途中でユーミンからリクエストを聞かれ、藤波は「中央フリーウエイを」と
          こたえた。

 ・11月 9日  新宿の「クラブCODE」にて、三星のパチンコ機種「CR闘魂2」の発表会に、藤波は蝶野らと出席。
          発表会では、蝶野らが「チーム2000」らしいパフォーマンスで場を盛り上げた。この機種は新日本
          のレスラーのアニメが活躍し、猪木や蝶野のテーマもかかるという凝ったもの。西日本では13日から
          東日本では20日から設置されるという。 (注:編者は未体験ですので、体験された方のレポートを
          お待ちしております)

 ・11月13日  橋本解雇の記者会見を行う。「一番いいたくないことを言うのは辛い」「猪木さんに報告にゆく」
          とも発言。うっすらと涙を浮かべての記者会見は藤波の無念さが伺われた。
          この橋本解雇により、新日本プロレスの中は「現場監督」である長州一派が復権し、
          「ニュー・ジャパンプロレス」に陥ってしまうという見方もあり、危惧されている。

 ・11月16日  この日の産経新聞に、「臓器移植希望者支援「ジャンボ鶴田基金」 ライバル団体がピンチに一肌」
           という記事が掲載された。記事では、ライバルだった藤波社長が、臓器移植の問題に関心をもち、
           「来年一月の東京ドーム大会で、選手らが臓器移植支援を呼び掛け、会場にジャンボ鶴田基金の
            募金箱を置く」など継続的に協力をしていくというと発言をしたと報じられた。

 ・11月18日  藤波は、ロサンゼルスに猪木を訪ね、ホテルで会談。
 ・11月19日  藤波は、猪木とともに早朝から登山。自然の中で師弟関係にもどり、猪木から
           「おまえの悩みなんて、小さなもんだよ」とアドバイスされた。

 ・11月27日  藤波が、猪木の12月31日大会で、猪木・藤波組対小川・橋本組を提唱する。と報道される。

 ・12月 5日  藤波は、猪木の12月31日の大会に、協力を表明。猪木、高田、桜庭らとともに記者会見に。
            藤波「今日の会見も先ほど聞いて、ミーティングの最中だったのですがあわててきました」
           相談役が社長を呼びだしたということになる。

 ・12月 8日  朝のNHK総合テレビ「ホット・モーニング」で藤波の来年の年賀状が紹介された。
       「4匹のへび」の図案で、いちばん大きいのが「おとうさん」の藤波さんです。とのこと

・12月14日 大阪府立で突如再開された藤波引退ロードの第2戦「エピローグ・オブ・ドラゴン2nd」
        が行われた。金本との一騎打ち。足4の字固めで勝ち、現役社長であることを知らしめ
        た。試合後にはテレビ中継の解説をしている木村健吾に呼びかけてリング上で握手。

・12月下旬  「ネットワークビジネス」誌(2001年2月号)に「特集・ドラゴンに聴け!」
        して藤波社長へのインタビュー記事が掲載された。その中で、社長として、プロレス
        とディズニーランドの共通点として、いかに人を楽しませるか。また、現役を離れる
        と発想が浮かばなくなり、リーダーシップもなくなるという興味深い発言をしている。
      

・12月31日 大阪ドームで行われた「猪木祭り」で、猪木がファン108人に「気合い」を入れたが、その
        最後に藤波社長の姿があった。また猪木とヘンゾ・グレーシーのエキシビションマッチの前に
        藤波が花束を贈呈し、ドラゴンコールが起こった。


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ラバーソウルみなみ