トップ > ドラゴン大年表 >1999
ドラゴン大年表

  ドラゴン大年表  

  平成11年(1999年)   突然、新日本プロレスの社長に就任する。新しい分野での活躍が大いに期待された。


●平成11年(1999年)  45歳


 ・ 1月 4日 東京ドーム大会。UFOの小川が橋本に喧嘩マッチを仕掛けたり、大仁田
         が健介に火炎放射するなどの話題があるも、藤波はおとなしく6人タッグ。

 ・ 1月10日 「サムライ」チャンネルの「バトルステーション」で、「無我」が放映さ
         れた。藤波自らがゲストとして登場し、98年12月8日の恵比寿大会の
         全5試合を解説した。また試合後の選手インタビューが収録されており、
         感動的な大会の雰囲気を伝えていた。なお、藤波は「無我」のコンセプト
         を聞かれて、「プロレスの基本に戻ること」「新日本プロレスを1軍とし
         たら、そこにあがるための2軍」と端的に答えた他、福田を新日マットに
         あげたいと力説した。

 ・ 1月24日 藤波辰爾著「藤波辰爾ドキュメントBOOK『無我』」の出版記念イベントが
         お茶の水で行われ、新日の中西・高岩・吉江の3選手もトークに参加。
         竹村vs藤崎、倉島vs小坪のチャレンジマッチも行われた。

 ・ 1月25日 藤波辰爾著「藤波辰爾ドキュメントBOOK『無我』」が主婦の友社から出版
         された。前半が、プロレス入り前からの一代記で、数々のエピソードが
         紹介されている。後半は「無我」の旗揚げ以後のコンセプト解説。随所に
         最近のプロレス界への危機感というものを訴えている。藤波選手のホーム
         ページから申し込むとサイン入りの著書が購入できるサービスも行われた。

 ・ 1月31日 この日、ジャイアント馬場さん(享年  歳)が死去していた。

 ・ 2月 2日 ジャイアント馬場さんの弔問に訪れた藤波がテレビのインタビューに答え
         た。「あまりにも急なことなので、思い出と言われてもすぐには出てこな
         い」

 ・ 2月14日 武道館でマサ斉藤の引退試合としてノートンと対戦。この日藤波は山崎と
         組み、乱戦の中、「逆さ押さえ込み」で天龍・越中組に勝利しファンを狂
         喜させた。

 ・ 2月20日 ジャンボ鶴田が引退を発表。藤波との越境対決は「夢のまま」となった。

 ・ 3月 7日 ジャンボ鶴田がこの日のインタビューで「藤波のマスコミを使った対戦要
         求のやり方は、大嫌いだった。藤波は一度も電話をしてきたことがない」
         と発言した。(これは、のちに誤解だったと謝罪があった)

 ・ 3月17日 広島で藤波はドン・フライと一騎打ち。得意のドラゴンスクリューや足4の字固
         めで攻めまくるも、一瞬の腕ひしぎ逆十字固めで敗れる。

 ・ 4月 6日 福岡で「無我」の「DREAM-2」が開催される。藤波は今回も案内役になり
         仲野とエキシビションマッチ。藤波が「ドラゴンスクリュー」を出さず、古
         典的な技「キーロック」が話題になる。若手中心の6試合が組まれた。
         空手の青柳も参加したが無我とは違和感があった。また、アジャコングを倒
         した里村が参戦し加藤に勝利、「浪漫」「無我」路線を実践。それをジャガ
         ー横田が絶賛した。

 ・ 4月10日 東京ドームで佐々木・越中組の持つ、IWGPタッグ王者に挑戦。「W龍」
         として昭和プロレスの意地を見せるも、藤波が越中にフォールされる。
         試合前後から佐々木が怒りの発言をするも、あいかわらず観客には受けず、
         大仁田と真鍋アナの「演劇」の足もとにもおよばなかった。
         なお、この日のメインは武藤がフライに勝ち、特別試合の蝶野と大仁田の
         電流爆破マッチは両者KOとなった。蝶野は「君が代」で登場。

 ・ 4月13日 仙台での試合に右足首をテーピングして臨む。翌日、山形大会を欠場。

 ・ 5月 3日 福岡で、ジョンストン・中西と組み、ドンフライ・nWoスティング・ウオール
         ストリート組と対戦。藤波が、フライにドラゴンスクリュー。見事に決まりす
         ぎて、フライが切れ藤波に強烈なパンチ。しかし最後は藤波が足4の字固め。
         ウオールストリートから意地の勝利。あとの5人は、勝手に試合をして、藤波
         が全体の流れを作った。

 ・ 5月25日 金沢で天龍と組み、武藤・天山組と対戦。ダブルドラゴンは、強い。最後は、
         天龍がWARスペシャルで武藤を押さえ、藤波が4の字固め。昭和の大技で
         天山を仕留めた。

 ・ 6月20日 藤波の出演したバラエティ番組「世界の仰天珍スポーツ命がけ真剣勝負ツアー」が
         放送された。藤波はアニマル梯団のふたりとオーストラリアのアデレードに飛び、
         現地の過激なロデオとマグロ投げを真剣に闘った。
         「余りに単純な競技ではあるけれども、挑戦してみると意外に面白く、これはハマる。
          もう一度チャレンジしてみたい」(ロケは3月下旬に行われていた)
         

 ・ 6月24日 藤波が、新日本プロレスの社長に就任
         「今後は猪木イズムを追及して、戦う社長として積極的に業務を執り行ない
          たい。プロレスコミッショナー制度を復活させたい。プロレスサミットを
          開催したい。全日本プロレスとの交流も図りたい。」と発表。また、
         「個人的には小川vs橋本戦を前向きにやらせたい」とも発言。
         今後の、新展開が期待された。

 ・ 6月27日 静岡大会で、新社長として、はじめてリングに立つ。試合は、永田と組んで、
         橋本・中西組と対戦。永田が橋本に敗れる。

 ・ 6月29日 UFOの大阪大会を訪れ、猪木と会談をもつ。

 ・ 6月30日 富山大会でメインの6人タッグに出場。しかし、ノートンの圧殺に、ピンフ
         ォールを取られてしまった。(ノートン・武藤・天山vs中西・佐々木・藤波)

 ・ 7月 1日 新日事務所を訪れた大仁田と電話で会談し、その後記者会見をする。
        「大仁田は新日本には必要なし。僕には、プロレス用語は通用しません」

 ・ 7月 3日 大津大会で、セミのタッグに出場。平田と組み、天山・ヒロ組と対戦。
         ヒロ斉藤から飛龍裸絞めで、社長として初勝利。

 ・ 7月21日 札幌大会で、犬軍団の後藤・小原組が越中・木村健を相手にIWGPタッグ
         タイトルを防衛。6月27日に王座についてから、「タイトルマッチしか出ない」
         と豪語して、シリーズ参戦せず、藤波社長から「試合に出なければ、王座を
         剥奪する」と言われていた。リング上で缶ビールを飲み「飲酒防衛」した。

 ・ 7月26日 アメリカWCWのメンフィス大会を視察。
 ・ 7月27日 エリックビショフと会談。WCWの若手養成道場の「パワープラント」も視察。
          藤波は、「あの会社とは仕事が出来ないな」と感想を述べた。
 ・ 7月28日 ロサンゼルスでUFOの猪木と会談。
 ・ 7月30日 ロサンゼルスボクシングジムのマッコリー代表と会談。正式提携を決定。

 ・ 8月10日 G1初日、藤波は、大阪大会メインで武藤と一騎打ち。ヒザ固めで勝利。

 ・ 8月23日 神宮球場大会を目前にしての高田のキャンセルについて、「高田をこの業界から
         追放」という記者会見をする。
 ・ 9月 2日 新日本プロレス事務所が、六本木から渋谷に移り、その事務所開きをする。
         事務所が広くなり社員間のコミュニケーションを取るために毎朝朝礼をする
         ことにした。

 ・ 9月 9日 渋谷からの初の記者会見で「10.11東京ドーム、橋本・小川戦」を「強行発表」(橋本には
         伝えていない)する。「これが、新しい新日本プロレスの姿勢です」


 ・9月14日 新日本の上越大会のリング上に、猪木が小川を連れて登場。
         「藤波社長の強権発動で、橋本戦が決まりました」

 9月29日 ロサンゼルスのホテルで、猪木・藤波・坂口の三者会談。橋本問題を話し合い
          藤波がレフェリーに立候補する。「レフェリーは、現役の私しかいないでしょう」

 ・10月 8日 藤波社長就任パーティが都内のホテルで開かれる。その席上で、小川と橋本の
          調印式。橋本が突然テーブルをひっくり返す暴挙に。藤波が橋本に張り手。

 ・10月11日 東京ドームで、小川のNWA選手権に橋本が挑む試合を、藤波がレフェリーとして
         裁いた。一歩的にやられる橋本に反撃のチャンスを与えるも、リングサイド
         から猪木が乱入して、試合をとめた。この試合の模様は「ニュースステーション」
         でも報道された。
          猪木「死ぬだろう。・・・なんというか、涙が出ました」

 ・10月14日 藤波・橋本共同記者会見が行われ、その席で「橋本が再起して、よい結果を
          残すまで、自分も同じようなものを背負う」と発言。

 ・11月13日  相田みつを美術館で、「藤波辰爾が語るプロレス人生」というテーマで講演。
          「夢に向かって進む」という内容であった。リンク

 ・12月 5日 藤波は、名古屋大会にタッグ戦で出場。飯塚と組んで、天龍・越中組と対戦。しかし
         天龍のラリアートにピンフォール負けを喫す。

 ・12月 7日  猪木と藤波が共演しているCM・OSGコーポレーションの「炎のCM発表会」に、
          猪木と藤波がそろって出席した。都内のホテルの制作発表会の会場には、特設
          リングが設置され、その上で2人が挨拶した。

 ・12月10日 藤波は、大阪大会に越中とのタッグで出場。スーパーJ・ウオールストリート組と
         対戦し、足4の字固めで、マイケルから勝利。なお、この日のメインでは、
         天龍が武藤を下して、IWGPヘビー級第25代王者になった。

 ・12月15日 力道山の命日に池上本門寺の墓に、藤波が橋本とともに訪れ、再出発を誓った。

 ・12月  日 ヒクソングレーシーが新日本を訪問。藤波と対談。(未詳・調査中)

 ・12月21日 この日のニュースとして「藤波社長も、104キロまで減量 あと1キロで、
          ジュニアのリミットに」が報道される。

 ・12月23日  都内のホテルで、藤波社長とファンとの交流イベントが開かれる。藤波社長に、
          ファンから直接、質問が出来るというイベントで「新日本プロレスの将来について」
          など熱心なファンの質問に真摯な態度で答えた。


トップ > ドラゴン大年表 >平成12年(2000年)にゆく


ラバーソウルみなみ