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WWWFジュニアチャンピオン藤波辰巳

 
現地でインタビュー1978

 3月の凱旋帰国を前に、1月下旬、ロサンゼルスで。ゴング竹内特派員。


●ドラゴンスープレックスの最初の犠牲者はカネック?

●日本人レスラーを見る観客の「偏見」とも闘っていた。
●レスラーは私生活もきちっとすべき。


マスクド・カナディアンを破った(78年1月27日)その翌日、ロサンゼルスのホテル・ニュー・オオタニで。話は、まずエストラーダを飛龍原爆固めで破り、WWWFジュニア王座を奪取したニューヨークの話題から始まる。

インタビューアーはゴングの竹内記者。あ、全日の実況の解説の、少し早口の方ですね。(^^;)


Q)はじめてMSGのマットを踏んだ感触は?

藤波「とにかく嬉しかった。あこがれの地ですから。雑誌とかで写真をみて、ああ、俺もいつかMSGでやれるのかな、なんてね。桧舞台ですからね。リングにあがった瞬間「ワーン」という歓声に押し流されそうでした。やはり初舞台で初タイトル挑戦ということですから。メキシコのアレナ・メヒコなんかでは歓声は気にならなかったんですが・・、それとマットが堅いなと思ったのをおぼえています。」

 勝利のあとのインタビューでの第一声が「今日は、客にのまれちゃって・・。すごいお客さんですね。 (お客は何人ですといわれて) そんなに入ったんですか! と、しげしげと観客席をながめる)」だった。「やったぞ!」とか「年寄りからとったんで価値がねえ」なんてコメントではないところに(^^;)藤波の初々しさが感じられる? あたりまえか。


Q)相手のエストラーダはどうだった?

藤波「シカゴからニューヨークに入った日が土曜日で、テレビでプロレスをやっていたんです。

エストラーダが出るというので見てたんですが、たいしたことないな、と思った。でも、いざ闘ってみると、なかなかの奴でしたよ。反則も細かい反則が上手い。さりげなく、のどを指でついてきたり、腕を取って指を曲げてきたり、特にパンチがレバーやストマックに的確に打ってくる。あれはボクシングの経験があるんじゃないかな。相当のキャリアがあるようでした」

はい。今、ビデオで見ても、ジノ・ブリットなんかとは違って、それなりの動きを見せていた選手だと思います。コーナー最上段からのセントーンなんてやるし。


Q)タイトル奪取の作戦は?

藤波「特に作戦というのはなかったです。臨機応変にやる以外ないと思ってましたから。でも、こいつは横への変化が出来ないなと思ったから、直線的なアタックができました。ホイップをかましたら逃げないで一回転して立ってきましたので、気が強く逃げのファイトをしないんで、ドロップキックで勝負して、最後は大技で、と」

Q)最初にリングにあがったときは「スキニ」とか「ジャップ」とか言われてましたね。

藤波「日本人レスラーとか日系レスラーというと悪党というイメージがあるんです。戦後30年も経っているのに。でも、悪いイメージを看板に闘っているレスラーも多い。まあ、その人その人の生き方だから、かまわないですけど、僕らもそういう悪党レスラーと同一視されるのはいやですね。

あくまでも正統派のクレバーなテクニックをみせるという生き方でやってきましたから。でも、「ジャップ」とか「スキニ(やせっぽち)とかいう野次には慣れていましたよ。試合を見てから言えと思って、試合内容で勝負だ、と」

この質問は、現在だったらあまりピンとこないかもしれない。しかし、日本人が「悪党」で売ってゆくしかなかったのも事実。グレート東郷や、トージョー・ヤマモト、キンジ・渋谷・・・

日本では正統派でも、アメリカで売り出すには「悪党スタイル」が必須だったのだ。

AWAのレトロフィルムを見ると、あのマサ斉藤でさえ、「日の丸はちまき」を締め、リング上でしこを踏んで「塩」をまいている。

藤波のような純粋な正統派スタイルの日本人レスラーは、ヒロ・マツダと共に貴重であったろう。

Q)試合の途中から声援に変わりましたね。

藤波「あのときは本当に勝ったと思いました。この世界、勝たねばいかんと、しみじみ思いました」

相手のエストラーダだけでなく、偏見に満ちた「観客」とも闘っていたと解釈していいだろう。


Q)あのフィニッシュホールドは?

藤波「メキシコで考えた自己流です。オリジナルです。ヒントはカール・ゴッチ先生のジャーマン・スープレックスですけど。ブリッジの練習は人一倍やってきたし、首、腰には自信がある。そこでフルネルソンからの人間風車をやってみたら、成功したんです。はじめて使ったのはカネックというこんど日本に行く選手にやったんです。決まったときは嬉しかった。メキシコの雑誌で、いっせいにフジナミのニューホールドとして取りあげられました」

飛龍原爆はどのようにして生まれたか。これは「謎」である。
・エストラーダとの試合中に思いついてやってみたら成功した。
・前日から猪木やゴッチとともに繰り返し練習していた。
・フロリダでの練習中にゴッチがやり方を教えてくれた。
・試合で使うのははじめて・・・

いろいろな「伝説」ができあがっている。藤波自身も凱旋帰国後、いろいろなところで語っている。(つい最近の「長州引退」のテレビ番組でも藤波のルーツであるエストラーダ戦に話は及んでいたし、藤波自身の口からも「はじめて使った技」と語られている)

「伝説」ができあがっているので、「真実はどうなのか」を追求することは、面白いテーマではあるが、とうてい追いきれないテーマである。「伝説」は「伝説」としてそっとしておいてもいいだろう)

 それにしても、このインタビューで語られているように、カネックが最初の犠牲者だとしたら、その後の3月のシリーズでの「敵前逃亡」の意味もまた違ってくるかもしれない。


Q)あの技のポイントは?

藤波「そうですね。ジャーマンとちがって、相手を最初につり上げなければならないので、ジャーマンの2倍の力がいるとゴッチ先生に言われた。腰がダメになったら、この技は出来ないでしょう」

Q)飛龍固めという名前は自分でつけたの?

藤波「僕は辰巳ですから。辰は龍でしょう、僕は子供の頃から龍が好きなんです。いつか「昇り龍」になろうと。メキシコでこの技は何か、と聞かれて「ドラゴン・スープレックス」と答えたんです。


凱旋帰国後、視聴者からのネーミングを募集する計画があったと聞いた。答えははじめから決まっていた。(あらかじめ会議で決めておいて、視聴者公募という形をとった「長州力」というリングネームと同じ。ただ、その時は「リング上」で「はがき」を吉田選手が選んだ・・・)、ま、しかし、そこまで力を入れて売り出そうと言う対象になったことは、大変な期待がこめられている。

当時の実況の舟橋アナウンサーは、古舘アナとは違い「おちついて実況」していたが、その舟橋アナが、興奮のあまり、「ドラゴン・スープレックス! 飛龍固め!」と思わず絶叫してしまったために、この計画は流れたそうな。

Q)新チャンピオンになって大変でしょ?

藤波「タイトルを取った日、ビンス・マクマホンにチャンピオンと呼ばれて、実感が沸いてきました。だって雲の上の人だったでしょう。で、義務(3カ月に一度はアメリカで防衛戦をする)は果たさなければならない。東京からニューヨークまで飛んでも13時間、どうってことないですよ。


Q)昨日のマスクドカナディアンはどうだった?

藤波「エストラーダ以上にくせ者でした。技はきれるし、スピードもある。ぶつかってみて、すぐ若いということがわかりました。同世代で、しかも相手もチャンピオンですから、異常に闘志が燃えますよ。

Q)藤波君はいくつ? いつもきちんとしてますね。

藤波「23歳です。いわゆるレスラー・スタイルというけばけばしくて崩れたのは嫌です。ゴッチさんにも言われたのですが、アメリカでレスラーというビジネスが低く見られるのは、レスラー自身にも責任がある。レスラーは私生活もしっかりしないと。自分は、まず服装からだと思っています。

なるほど。若い。そして、優等性的な答えだ。初々しい。西村の発言にも通じるところがある。もっとも、藤波は「日本国民は馬鹿だ」なんていわないけれども。


Q)3月の凱旋帰国をファンは大変期待している。来日する外人はわかる?

藤波「カナディアンと、カネックには凄く闘志を感じます。特にカネックにはメキシコで20回以上闘ってますが、弾力があり、ドロップキックなんてマスカラス級ですよ。

Q)イワンコロフとかマスクド・スーパースターとか、大型の選手は?

藤波「バトルロイヤルで闘ったアンドレにだって、顔面にドロップキックを打つなどなんとかなるという自信がある。だから、どうってことないですね。それと、グレート・マレンコが来日するんですね。アメリカで最初に闘った相手だから、すごく楽しみです」

大変な自信である。このころのジュニアヘビー級選手は、大型選手とも対戦し、互角に闘っていた。また、グレート・マレンコは、藤波がドイツから転戦してきて、アメリカでの最初の強敵であった。チェーン・デスマッチも経験している。藤波は楽しみにしていたが、来日はマスクド・スーパースターの悪党マネージャーの立場で、リングに登場して、ゆうゆうと葉巻をくゆらし(禁煙なのだが)、坂口や猪木のを焼いた。(^^;)
当時、藤波は「レスリングもできるのに、なんであんなことをするんだ」と怒りのコメントを出している。


Q)これから、世界で闘って見たいレスラーは?

藤波「バックランド、マスカラス、ドリー、それからジャンボ鶴田さんです。とにかく闘いたい相手はたくさんいます。今は、誰とでも闘いたい」

20年まえから「ジャンボ鶴田」のなまえがあがっていた。
20年経っても「時期尚早」(これは新日の事情だが)で、実現していない。
鶴田戦は、藤波の夢なのか。


原文のニュアンスをくずすような失礼のないように留意しました。

みなみの「よけい」な感想つきなのは、著作権を配慮してです。

 平成10年8月 作成  みなみ  2001.6.4再編成 ラバーソウルみなみ

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